★前回までのあらすじ
社員の健康度と業務効率を上げたい、と決意した春代。ミーティングを繰り返し、やっと方向性が見えてきたが……

このコラムは、人事部で働く人々にインタビューし、メンタルヘルス対策にかける思いを中心に、その人生の一端を「物語」仕立てにしたものです。(※文中の名称はすべて仮名です)
~人事課長・春代の物語「社員全員を船に乗せ」第7話~

役員たちからの抵抗

覚悟はしていたものの、経営会議での役員からの第一声は、
「そんなことをしていたら、業務がまわらん」
というものだった。

「社員全員を健康という船に乗せ、同じ目的地に向かう」

というコンセプトで、会社全体の産業保健体制を構築する企画を起案した。全国の支店・工場が自律的に産業保健活動をまわせる体制、社員への教育、相談対応窓口の設置、「不調者対応・職場復帰支援プログラム」や「職場活性プログラム」の作成、そのすべてを本社人事部主導で整備していく……春代は、渋る人事部長を押し切る形で、その企画を携え、経営会議に臨んだのだった。

「理想はわかるよ。社員には当然健康でいてほしい。だが、産業医や保健師を雇うにはカネがかかるだろう。そのコストに見合う成果があると、どう証明する?」
「管理職は今でも泊まり込みをしているくらい多忙を極めている。このうえ、管理職研修で集めるなんて、そんな時間がどこにある」
「メンタルヘルス対策強化とかね、そういうことを会社が言い出すと、それに甘えて利用しようとする社員が必ず出てくるものだよ。怠けようとして休職する者が増えるんじゃないか」
「健康というのは、そもそも個人の努力の問題じゃないのかね。メンタルヘルス不調になるのも、生活習慣病になるのも、本人の責任という側面が強いように思うがねぇ。会社がそこまで面倒を見る必要があるのか」

役員は口々に、そんなことを言い合っている。人事部長は肩身を狭くして、この企画を起案した春代を恨めしそうに見ている。春代はしばらく黙って、役員たちに言いたいだけ言わせておいた。そもそも、言いたいことを言い切ってからでないと、人の話を聴かない人々なのだ。
ひとしきりワーワーやり、「じゃ、そんなことで」と、あっさり企画が却下されそうになったその直前、春代はあえて声を張った。

「10年後!我が社は、今のまま走っていられるとお思いですか?」

役員たちは、何を言い出すのか?とでも言いたげに、眉根を寄せて春代に注目した。
「現在、社員の平均年齢は45歳、10年後には今の社員の1割が定年を迎えます。しかし、現在、我が社は就活口コミサイトで評判が悪く、ほぼブラック企業扱いされて新卒採用の募集が振るわず、採用予定人数を毎年割っています。加えて、うつ病などで休職する社員が全体の3%、そのうち復職できた社員はわずか10%です。メンタルヘルス不調が悪化し、自殺者すら発生していることはご存知の通りです。今後、その遺族から安全配慮義務違反で訴えられる可能性もあります。病気にならないまでも、離職率は20%までに上がり、現場は常に人員不足、残された社員に負荷がかかり、さらなる不調者を生むという悪循環に陥っています。さらに、会社には来ていても、心身の不調により、常時生産性が落ちている「目に見えない経済的損失」、すなわちプレゼンティーズムは、退職や休職よりはるかに経営に与える影響が大きいという調査データもあります。……このような現状に目をつむり、放置し続けて、10年後、我が社が明るい未来の中にあると、みなさんは自信を持って断言できますか。社長、10年後も我が社は健全に存続していると、断言していただけますか。そうできるなら、わたくしはこの企画を今すぐ取り下げます。もし、ご心配が少しでもあるなら、わたくしに、人事部に、チャンスをください。3年間。3年間で必ず成果を出します」

春代の勢いに気圧されるように役員たちは黙り込み、全員の視線が自然と社長に集まった。社長は難しい顔をして腕を組んでいる。社長もまた、黙ったまま動こうとしない。そのとき、意外な人物が口を開いた。営業本部の担当役員だった。
「私の本部には、真田という社員がいます。真田は、私の同期です」
それを聞いて、春代はハッとした。真田とは、休職と復職を繰り返している、50代の社員だ。うつ病となり、休職をするものの、しっかり回復しないうち無理に復職をして再発をするという状況に何度か陥り、今も休職中であった。
「真田は、とても優秀な同期でした。同期の中で、一番だったと言っていい。営業本部に配属されてからも、成績は常にトップクラスでした。だが、優秀すぎるがゆえに、完璧主義で、自らに失敗を許さず、長距離走の道を短距離走の速度で駆け抜けようとするようなところがあった。そのために、やつはうつ病になり、その後の顛末は皆さんご存知の通りです。本来の実力からすれば、真田は私などより早く、役員になってもおかしくない人物でした。真田本人の責任も大きい。彼は自分で、長距離走を走り続けられるように、自分をコントロールしなければならなかった。しかし、会社が彼を走らせ続けるのも見てきました。彼がスピードを緩めることを、会社が、彼の上司たちが、許さなかったのです。スピードを緩めれば転落するぞ、と、半ばそう脅し続けるようなプレッシャーを、ノルマという形で彼に与え続けた。私は、真田のような本来優秀な社員を、優秀なまま使い続けるのは、会社の義務であり、またメリットだとも思います。どうでしょう。風吹くんの提案には、一考の価値があると、私は思います」
訥々としたその発言が終わったとき、社長が初めて顔を上げた。
「風吹課長」
社長に呼ばれ、春代は背筋を正す。
「今回の企画、何にどれだけのコストがかかり、どのような成果をゴールとするのか、具体化した計画を次の経営会議までに作成してください」
「はい!」春代は即座に応えた。
「社長、これは、コストではなく投資です。社員の健康と生産性は比例します。3年間で、必ずそれを証明いたします」
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