人にはなぜ「物語」が必要なのでしょうか。

小説、映画、漫画・・・人は「物語」を求め、「物語」を消費します。
そして、人類にとって最初の「物語」は「神話」です。
「神話」は、人が「私はどこから来て、どこに還っていくのだろう」「私はなぜ生まれたのだろう」「この世界は誰が作ったのだろう」「太陽はなぜ昇り、そして沈むのだろう」といった根源的な問いにぶちあたり、その問いへの答えとして創られたものだと私は思います。
つまり、自分のいるこの世界、そして、自分と世界との関係性を理解したくて、人は「神話」を、「物語」を欲したのです。
私のお客様は人事部の方々です。目の前のお客様をより理解するため、
私は、人事部の方々の「物語」を知りたいと思いました。
このコラムは、人事部で働く人々にインタビューし、メンタルヘルス対策にかける思いを中心に、その人生の一端を「物語」仕立てにしたものです。(※文中の名称はすべて仮名です)
~人事部3年目・冬美29歳の物語「うつ病の新入社員を救え!」第1話

新入社員が「うつ病」に!

「大窪くんが休職に入るから。うつ病だって」
日野原冬美が人事課長からそう告げられたのは、紅葉も色を失って道に舞い落ちる寒い日のことだった。
「えっ、なんでですか?」咄嗟に聞き返したものの、
「さぁ~。最近の新人はやっぱりメンタル弱いってことなんじゃないの?」課長は面倒くさそうに話を打ち切ってしまった。

冬美は、IT企業の人事部人事課で働いている。入社以来システム開発の現場で3年、能力開発部で研修担当を2年、そして人事部に来て3年がたっていた。29歳である。
すぐに大窪の同期の清水を呼び出した。社内の人間が来ない遠くのコーヒーショップまで2人で足を伸ばす。

「2時間ですよ。2時間、立ったまま説教されたらしいです」
清水はコーヒーのカップを握り締めながら、目に怒りを浮かべている。
「大窪がアサインされたプロジェクト、1課と2課の課長どちらも噛んでいるんです。あの課長たち、仲が最悪じゃないですか。大窪は板挟み状態だったんです。1課長の言うとおりにプログラミングすると、2課長がダメだしする、みたいな。それを誰も仲裁してくれなかったらしくて」
清水からさらに詳しい話を聞きながら、冬美の手の中で、コーヒーが急速に冷えていった。大窪の人の好さそうな顔を思い出す。新人研修の成績は中の上。目立つタイプではないが、穏やかで真面目な人柄が同期にも慕われていた。採用面接のときには、「大学の友人は、同じ年なのに自分のことを『おじちゃん、おじちゃん』と言ってくるんですよね」と照れくさそうに笑っていた。枯葉が寒そうに身を固めている目の前の道を、冬美は知らず知らず睨みつけていた。

「ストレスチェック」って、使えるんじゃない?

「なんでダメなんですか?!」冬美は人事課長にくってかかった。
大窪がいたプロジェクトを仕切るシステム開発部の1課長・2課長に話を聞きに行きたいと申し出たら、人事課長にストップをかけられたのだ。
「お前が出る幕じゃないだろう。それに、あの2人を怒らすわけにはいかん」そういえば清水も言っていた。1課長・2課長は水と油だが、システムエンジニアとしては優秀で、どちらが抜けてもプロジェクトが進まない。ゆえに、誰も2人にモノが言えないのだと。

そんな折、冬美は訪問してきたEAP会社の営業から、ストレスチェックが2015年12月から義務化になるという話を聞いた。個々人の心の健康診断のようなもので、「集団分析」もできるらしい。部署ごとに結果を集計することで、その部署の上司の支援状態、対人関係の状況などがリスク値として顕在化するのだ。
「これは使えるかもしれない…!」冬美は考えた。人事部が現場に介入していくのはなかなか難しい。特に冬美の会社は「現場優先」といった風土があり、人事部の発言権は弱い。だから、大窪の件も、大窪個人のストレス耐性の問題として片付けられようとしている。だが、「集団分析」という目に見える結果があれば、その数値を根拠に、各部署に介入しやすくなるのではないか。

冬美は早速人事課長に、EAP会社からもらった資料を渡して説明した。しかし課長の反応は、けんもほろろ。
「まぁ法律ならストレスチェックとやらは、やらなきゃ仕方ないんだろうが…この集団分析ってのは、努力義務なんだろ?じゃあやらなくていいよ。現場の管理職が反発するって。寝てる子を起こすようなことはやめよう」というものだった。
冬美は自席に戻り、じっと考えた。課長はダメだ。じゃあどうする…?
ふと、部長席に目をやった。人事部長の大崎は人格者だが、少々固いところがある。仮に部長に直接話をもっていったところで、「課長の頭越しにやるなよ」と、説教されるのがオチだろう。
私は大窪くんのために何もできないのか…人事って何のためにいるんだろう…こんなことでは、私が人事にいる意味なんて何もない…冬美は自宅で寝床に入ってからも、そんな言葉が頭をぐるぐると廻り、なかなか寝付くことができなかった。

翌朝、腫れぼったい目をこすりながら駅までの道をトボトボ歩く。神社の脇を通り過ぎようとしたとき、ふと足が止まった。見上げると、道に大きく枝を伸ばした神木の葉ごしに青い空が広がっている。
「冬祭り…」唇から言葉がこぼれた。大崎人事部長が以前、飲み会で話していたことを思い出したのだ。地元の神社で冬祭りがあるのだと。町内会の理事である大崎が、普段見せたことのないような笑顔で祭り運営の楽しさについて語っていたことを。かなり大きなイベントらしいので、地元以外の人間が訪れてもおかしくないかもしれない。冬美は急いで大崎の地元の情報をスマートフォンで調べ始めた。

大窪くん、後輩のみんな、待っててね。私、あきらめないで部長を説得してみるから。
私が採用して、私が育てた。
新人研修のときには、全員の目が希望とやる気でキラキラしていた。その人たちをこれ以上、うつ病にされてたまるものか。私を信じてこの会社に入ってくれた人たちのために、自分ができることは全部やってみよう…。
冬美は駅に向かって跳ぶように駆け出した。
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