今ここに意識を集中させる

世界的企業も取り入れている「マインドフルネス」の効果とは、ストレスを軽減し心身の健全を維持すること

川野泰周 ⽒
精神科・⼼療内科医/臨済宗建⻑寺派林⾹寺住職



マインドフルネスというのは馴染みの薄い言葉です。「フル」という語感から「心があれやこれやといろいろなものでいっぱいな状態」と思われるかもしれません。しかし、実は、まったくの逆で、心を空っぽにすることを言います。ただ、心を空っぽにすること、仏教や禅の世界でいう無我の境地に到達するのは、よほどの修行を積まない限りできることではありません。一方で、空っぽの状態に近づけることは比較的簡単にできます。その具体的な方法は、「一つのことに注意を向けること」です。2013年に設立された日本マインドフルネス学会ではマインドフルネスについて「今この瞬間の体験に注意を向け、評価せず、とらわれない状態で観ること」と定義されています。つまり、今体験していることに意図的に注意を向けて味わうという非常にシンプルなものです。

自分の心がマインドフルネスの状態にあるか、簡単に調べる方法があります。15秒間、目を閉じて静かに過ごしてみてください。いかがでしょうか。たった15秒間でもさまざまなことが頭に去来したのではないでしょうか。あの時はああだった、この先はこれをしようなどと過去や未来のことに浮かんできたなら、通常の意識状態です。反対に、蝉の声が聞こえてきたなとか、畳の香りがするとか、今の自分自身の五感を通じて入ってくることが気づきの対象になっていたなら、マインドフルネスの状態になっていると言えるでしょう。

心がマインドフルネスの状態になると、どのような変化が起こるでしょうか。二つの効果を紹介します。一つは「アウェアネス」(気づき)、もう一つは「アクセプタンス」(受容)、この2つの向上です。前者は、外から入ってくる情報と、自らの内側から湧いてくる情報に意識を向けられる状態で、これからビジネスシーンを生きていく人たちにとって大変有用なスキルとされています。というのも、自分自身のあり方、自分の本当の価値基準、実現したい目標が明らかになり、かつ一緒に仕事をしている人や交渉相手の思いをくみ取れるようになるからです。後者は、得られた情報を批判や先入観なく受け止める能力です。マインドフルネスはこの2つを同時進行で向上させるのです。

なぜ脳は疲れ、使い過ぎるとどうなるのか

ハーバード大学の研究で、人間は起きて活動している間のうち、何%の時間を目の前の物事に注意を向けて体験しているか、というものがあります。数千人を対象に収集したデータを解析した結果、私たちは起きている時間の53.1%しか目の前の今やっていることに注意を向けていないことがわかりました。今していることに注意を置いていない状態のことを、認知心理学では「マインドワンダリング」と言います。残りの46.9%の時間は心がさまよっている状態であり、起きている間の半分近い時間がマインドワンダリングになっているとわかったのです。マインドワンダリングは、複数の仕事を同時に進行する、つまりマルチタスクの状態でもなりやすいとわかっています。マルチタスクで仕事を進められるのは一つの能力ですが、あまりにもその時間が長いと心が疲弊して倒れてしまう、鬱や不安を発症してしまう可能性が指摘されています。このため、マルチタスで仕事を行うのがある意味で当たり前のIT企業に勤務する人は、離職や休職の率が他の業界に比べて高い傾向にあることも指摘されています。

なぜいろいろな物事に注意を張り巡らせていると脳が疲れてしまうのでしょうか。ここで、脳の機能について一つご紹介します。脳はある状態においては、内側前頭前皮質と後部帯状皮質の2カ所が同時に活性化します。内側前頭前皮質と後部帯状皮質は脳のエネルギーを大量消費し、5~6割近くを消費するとの研究があります。では、ある状態とはどんな状態かというと、何もしないで、ただぼうっとしている状態です。ぼうっとしているのになぜ脳はエネルギーを消費するのかと、理解に苦しむかもしれません。ぼうっとしていると、目の前でしていること以外のことを想像したり考えたりしてしまい、その結果、内側前頭前皮質と後部帯状皮質が活性化するのです。

この2カ所は、外から入ってくる情報に備え、待ち受けている機能を持っており、「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」と呼ばれます。デフォルト・モード・ネットワークがしっかりと働いてくれないと、私たちは名前を呼ばれても応えることができず、人混みの中を人とぶつかることなく歩くことはできないと考えられます。その意味で、デフォルト・モード・ネットワークがないと都市で生活ができないとも言えます。しかし、常時デフォルト・モード・ネットワークを活性化させていると、脳のエネルギーが激しく消費され、鬱や不安障害が引き起されてしまう可能性があるのです。私たちはスマホを持ち歩き、ニュースを追い求め、ビジネスで関連のある人からの連絡に備えています。だからこそ、意図的にデフォルト・モード・ネットワークを穏やかにする取り組みが必要とされるのです。

ストレスが引き起こされる要因

私たちの生きる社会はストレス社会とも呼ばれ、ストレスを要因とするさまざまな精神疾患を抱えがちです。精神疾患で近年、増えているのは自律神経失調症と心的外傷後ストレス障害(PTSD)です。この2つの疾患の特徴として、自分で自分の症状に気づきにくいことが挙げられます。体の異変を感じていても、心に強いストレスがあることはわかりにくい。これは現代を生きる人々の一つの傾向とされ「アレキシサイミア(失感情症)」、つまり、自分の内面に気づきにくい、心のありように気づくことに苦手である、という人が増えているのです。マインドフルネスに即して言えば、アウェアネスが低い状態です。

では、ストレスはどのように蓄積されていくのでしょうか。私たちの心は意識と感情の2つに分けて論じることができます。意識は理性の部分を指し、感情は感情のままにという言葉が表すようにコントロールが容易ではない部分です。体調は意識と感情とどちらとリンクしているかというと、感情であることがわかっています。例えば、私たちは心拍数を自ら変えることはできませんが、スマホから危険を知らせるアラームが鳴れば、恐れや驚きなどの感情を抱き、簡単に2倍くらいになります。この意識と感情の相互作用がうまくいっている時は、私たちの心に問題は生じません。一方、例えば、食べたいのに医者の指示で食べることができないなど、意識で感情を抑えようとする、つまり、意識と感情の摩擦が葛藤を生みます。この葛藤こそがストレスの本体です。

ストレスが蓄積されると、自律神経が乱れ、体に異変を生じさせます。自律神経は体中に張り巡らされているので、ストレスを要因とする症状がどこに起きてもおかしくはない。例えば、過敏性腸症候群は自身ではコントロールできずに、下痢や便秘を繰り返します。ところが、消化器内科で腸を見てもらっても、異常は発見されません。医師はおそらく「機能性疾患」と判断するでしょう。機能性の疾患とは、器質的な問題(炎症や腫瘍などの物理的な要因)が見当たらないのに、機能だけはおかしくなっているという状態で、要するに「ストレスですね」と言っているのと同じです。一見すると何の解決にもならないように聴こえるかもしれませんが、ストレスがもとになっているかもしれないという、重要な気づきを与えてくれているとも言えます。

ストレスを放置すると、さまざまな臓器の異常が繰り返し出てきてしまいます。一つひとつの症状を薬で無理やり押さえつけようとしても、別の場所の異常が出てくることがほとんどです。これでは「いたちごっこ」というものです。精神的なストレスが体の異常となって出てきてしまうのならば、ストレスを原因とする自律神経の乱れを、マインドフルネス瞑想などを使って心を上手にコントロールできれば回復も見込めるというわけです。

マインドフルネスは薬に匹敵する効果をもたらすこともあ...

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