企業経営にはピンチがつきまとう。特にベンチャー企業で業績が急拡大する際に問題が生じやすい。目立つのは、事業の成長に社員が追い付いていかないこと。この時、社員の不平や不満が職場に浸透し、離職率が高くなる場合がある。業績悪化になり、成長の勢いを失うケースも少なくない。最悪の場合、経営破たんすらある。このピンチに、経営者や役員、社員はどのように向かい合い、乗り越えるべきか。
今回のリーダー:株式会社プレシャスパートナーズ 管理本部執行役員CHO 中川 梓 氏
企業経営にはピンチがつきまとう。特にベンチャー企業で業績が急拡大する際に問題が生じやすい。目立つのは、事業の成長に社員が追い付いていかないこと。この時、社員の不平や不満が職場に浸透し、離職率が高くなる場合がある。業績悪化になり、成長の勢いを失うケースも少なくない。最悪の場合、経営破たんすらある。このピンチに、経営者や役員、社員はどのように向かい合い、乗り越えるべきか。そのヒントを探るべく、今回インタビューしたのは、求人広告事業や採用ブランディング事業など採用コンサルティング事業(東京都新宿区、104人)で躍進する(株)プレシャスパートナーズの中川 梓 管理本部執行役員CHO(最高人事責任者)。危機を乗り越え、定着率向上や業務時間削減につながった「8つの改革」について話をうかがった。
リーダープロフィール
中川 梓(なかがわ あずさ)
2011年に中途入社。営業職として経験を積み、13年に人事部へ異動し、15年に部長となった。部下は現在、4人(うち、人事2人、総務2人)。主に新卒や中途の採用試験を企画立案し、実施する一方、管理職や一般職の研修も行う。最近は、パワーハラスメント研修や人材教育に力を注ぐ。2020年4月には管理本部執行役員CHOに就任。
定着率が8割から、一気に5割に
「2015ショック」。この言葉は、プレシャスパートナーズの役員、管理職が参加する会議で2020年の今でも聞かれるものだ。15年4月に新卒(大卒)として17人が入社したが、1年が終わる16年3月末までに7人が退職した。4月には、さらに2人が辞める。この時点で計9人と新卒で入った社員の半数以上が退職したのだ。
「ここまで大量に辞めるのは初めてであり、当時、社長以下、役員、管理職のほとんどが危機感を持っていた。人事部長として退職者全員に1時間程のヒアリングをしたが、最も多い理由は仕事が思ったよりもキツイだった。次は、社風。入社前に想像していたものとは異なっていたようだ」(中川 梓 管理本部執行役員CHO)
2008年の創業以来、順調に業績を拡大していた。さらなる拡大に対応するために、12年4月入社の新卒者獲得に向けて11年から大卒・大学院卒の新卒採用を本格化した。それ以前の採用は、20代半ばから後半にかけての「第2新卒」が中心だった。社長を始め、役員たちが「今後、中核を担うコア人材を育成していくうえで新卒社員は貴重」と判断した。
「経営理念や社風を始め、会社の業務に第2新卒者よりも共感しやすい傾向がある。人材としての伸びしろに大きな期待もできる」(中川氏)
採用の大きな流れはまず、求人サイトや自社ホームページを使い、エントリー者を増やす。その後の試験では、年次により多少の違いはあるが、14年は1次が会社説明会と座談会→グループディスカッション→2次面接→3次面接→適性検査と面談→4次(最終)面接という流れにした。
その結果、新卒入社数は12年が3人、13年が6人、14年は6人と順調に増えていき、定着率も8割程度を維持していた。
そして、「2015ショック」が起きた15年は17人と一気に前年の3倍近くを採用した。この時期、速いスピードで業績が拡大していたためだ。しかも、15年3月時点の社員数は約38人。ここに17人が加わったのだから、組織に歪みが生じてもおかしくない。
8つの改革を矢継ぎ早に断行
15年に、営業部のチーフから人事部長に就任した中川氏は「エグジットインタビュー」(退職者へのヒアリング)を行い、有望な若手社員が辞めざるを得なかった原因がどこにあるのかを調べた。そして、管理職や外部のコンサルタントらの意見や助言をもとに、社長や役員の了解のうえ、次に挙げた8つの改革を全社で段階的に試みた。1:社内の個々の仕事の意味、目的、作業フローを再定義し、関係部署で共有する
2:個々の作業の役割分担と権限、責任の明確化
3:チームで仕事や作業をすることで効率化を進め、精度を高める
4:残業時間の削減
5:役員や管理職の研修の徹底
6:内定者研修の変更・強化
7:新入社員との関わりを増やす
8:経営理念や社風の伝承、共有
作業工程も6つに分け、仕事の質向上や業務時間削減に寄与
改革の1と2は、特に新卒者全員が配属される営業部を中心に15年から早急に取り組んだ。退職者に「仕事がキツイ」といった不満が多かったことを考慮した。取り組むうえでまず、営業の中心である「企業開拓、求人広告の企画・立案」を次の作業工程に明確にわけ、部員間で共有した。【1】「見込み客のリストアップ」
【2】「テレアポ(アポイントメント取り)」
【3】「訪問(接客)、セールス」
【4】「契約成立」
【5】「原稿の編集制作」
【6】「入金・予算管理」
以前は、入社1年目から全員が先輩のOJTのもと、作業工程の【1】から【6】まで取り組んでいた。改革以降は【5】を専門に扱う部署を設け、数人の社員が専従として編集制作をする体制を構築した。
「入社1年目の社員にとっては、キャパシティーオーバー気味の仕事量を大幅に減らすことができた。並行して、営業部と編集制作の担当者との役割分担、権限や責任の明確化を進めたことも大きな効果を発揮した」(中川氏)
改革の1と2を並行して進めたことが、3につながった。営業担当者と編集制作の担当者がチームで取り組むので、ムリ・ムダ・ムラを省き、原稿の精度が高くなる。クライアント企業の反応も以前よりよくなった。チームで仕事をする機会が増えると、営業部を中心に残業時間がしだいに減る。15年当時で全社の月平均残業は約40時間だったが、19年は28時間程にまで削減できた。
残業削減をめざして力を入れた3つの取り組み
残業時間を削減するうえで特に力を入れたのは、次のAからCの3つだ。A)1日の仕事の「見える化」と部署での共有
全部署で個々の部員の仕事を共有のエクセルデータに1時間ごとに記録。それをもとに管理職が毎日、少なくとも午前中1回、午後1回、その時点での仕事や課題、問題点を尋ね、話し合いのうえ共有する。1日終えると、当日もしくは翌日午前の10時くらいまでに今後の課題や仕事の進め方を確認。この繰り返しで仕事の効率化を図る。
B)上司の許可の一層の徹底
以前から、残業をする際にはほとんどの社員が上司に報告し、許可を得たうえでしていたが、改革以降は厳格なルールを設けた。必ず、理由や内容、終了予定時間を含めた報告をして許可を得ることにした。状況いかんでは、認めない場合もある。
C)「残業見える化」カードの作成、普及
上司の許可を得ると、当日は自席の上にカード(高さ約20センチ、幅30センチ程)を周囲に見えるように置く。残業をすることをいわば宣言し、定時までの仕事と残業の差を意識の面で明確にした。配属部署以外の社員も見ることができるようにして、社内全体の意識を改革。並行し、他の部署の管理職を始めとした周囲の社員が「できるだけ早く終えて、退社するように」と本人に声をかける取り組みを行った。
研修内容をリニューアルし、管理職の行動も変化
改革の取り組みの5~7は関係が深い。「2015ショック」の時、管理職(主に課長)の平均年齢は20代半ばから後半。部下育成の経験が1~2年と浅かった。そこで15年から現在に至るまで、役員や管理職の部下育成力をテーマにした研修を繰り返し実施。外部講師を招き、パワーハラスメント(パワハラ)に関する研修も行い始めた。15年から、新卒者が入社前に受講する内定者研修も開始。前年の秋から3月末までに1か月に1~3回のペースで開催した。講師は、主に管理職。テーマは「社会人と学生の違い」「業界の現状」「同社の歴史」「経営理念や社風」「会社として大切にする価値観」「部署の業務内容」「社員の紹介」など。ランチは、役員や管理職から一般職の社員まで参加するようにした。できるだけ多くの社員が内定者と接点を持つようにするため、ローテーションを組んだ。
入社後は、新人研修(入社1か月間)に社内の商品(商材)を盛り込むようにした。「商品(商材)研修」は、求人広告などのメーカーの担当者が講師になる。これらの研修の内容は、事前に関係部署の管理職が人事と話し合い決定。部下育成力をテーマにした研修の受講後には、管理職は部下が受ける研修の内容に積極的な発言や指摘をするようになったという。
経営理念や社風の伝承、共有で定着率向上
改革の8つ目の「経営理念や社風の伝承、共有」。経営理念や社風については、「RJP(現実的な仕事情報の事前開示)」(Realistic Job Previewの略)の姿勢で、会社説明会や採用試験の段階で説明を行った。話す内容は会社や各部署から残業時間や残業代、休日出勤、離職率、テレアポ(アポイントメント取り)までに及ぶ。入社後も、役員、管理職が中心となり、繰り返し伝える。2015ショックの前から、学生には残業の有無や月の平均時間などを伝えていたが、よりくわしく丁寧に教えるようにした。営業のテレアポでは、150社ほどに電話を入れて会社に訪問できるようになるのは数件であることも伝え、厳しさを理解してもらう。
改革の効果は、早いうちに表れてきた。2015年に17人が入社し、16年4月末で9人が退職してしまったが、残りの8人は2020年3月時点で全員が在籍している。新卒者の入社数は16年が13人、17年は17人、18年が20人、19年が18人、20年が11人。採用者数は増えているが、定着率はかつての水準である8割程度まで回復しており、取り組みの効果が現れていることがわかる。
「2015年に大きなピンチを迎え、人事部が何をするべきか。どのような人と一緒に仕事をしていくべきなのかが、よくわかるようになった。私たちにとって大切なものは何だろうと、当時、社長や役員、管理職で議論をよくした。それを考えるきっかけとなったのが、あのショックだったのだと思う」(中川人事部長)
8つの改革を矢継ぎ早に行った結果、新卒社員の入社前後のミスマッチが減り、同時にエンゲージメントも向上させることができた。改革の中でも特筆すべきは、業務工程を見直し、役割の明確化や部署間の共有を図った点だ。仕事の質が高まってクライアントから評価されただけでなく、約3割も残業時間を削減できた。今回実施された改革は、働き方改革の次に重要な「働きがい改革」にもつながる好事例と言える。