何かの価値をとらえるときに使う「好き嫌い」と「良し悪し」という言葉。「好き嫌い」とは、「良し悪し」では割り切れないものの総称ですが、ビジネスにおけるリーダーシップやイノベーションに不可欠な要素です。そして何よりも、今の日本にはこの「好き嫌い」の感覚が大きく不足しています。なぜ今、「好き嫌い」が重要なのか。一橋大学大学院 国際企業戦略研究科の楠木教授をお招きし、競争戦略、働き方改革、多様性などのキーワードを交えながら、「好き嫌い」の復権について講演いただきました。
オポチュニティ企業とクオリティ企業
本日皆さんにお伝えしたいのは、「好き嫌い」と「良し悪し」は同じではないということです。特に、ビジネスにおいては「良し悪し」が優先され、「好き嫌い」が劣後する傾向にあります。しかし、もう少し「好き嫌い」というものを本質的に考え、経営や仕事に取り入れたほうが、組織が強くなるのではないか。私の専門は競争戦略という分野ですが、その観点から、なぜ「好き嫌い」が大切なのかということをお話しできればと思います。企業は主に、オポチュニティ企業とクオリティ企業に分けられます。
オポチュニティ企業とは、稼ぐ力の源泉が外部環境のオポチュニティである(早く・速く・強い握力でデカいオポチュニティをつかむ)、本社レベルの戦略的選択がカギ(事業立地の選択とポートフォリオの組み替え)、先行者の利益と規模の経済、成長が一義的目標である(利益はついてくる)――といったスタンスで経営をしている企業です。
今どこが儲かるのか、その事業立地と機会をうまく見出して、そこに資源を張っていく。つまり、本社レベルの投資の意思決定が、経営の鍵になります。またオポチュニティ企業は、経済の青春期、つまり高度成長期には主役になります。なぜなら経済成長による外部環境の追い風が吹き、次から次へと新たな収益機会が生まれてくるからです。ちなみに日本のオポチュニティ企業の代表といえば、ソフトバンクなどが挙げられるでしょう。
一方のクオリティ企業は、成熟経済の主役になります。今どこが儲かるか、という観点ではなく、自分の土俵を決めて長い時間をかけて深掘りしていく、というのが経営スタンスです。特徴としては、外部環境のオポチュニティから企業が内部で創るクオリティへ稼ぐ力の源泉をシフトする、事業内部での腰が据わった価値創造、差別化された顧客価値(単純な製品・サービスの「質」ではない)などが挙げられるでしょう。
クオリティというと、モノづくりなどのアウトプットのクオリティが連想されがちですが、ここで言っているのは「モノ」や「サービス」の背後にある独自の価値創造、プロセスそのもののクオリティのこと。つまり、そこに優れた戦略ストーリーがあるかどうかということです。
ポジショニングの論理
では、その戦略とは何なのか。競争戦略の基本論理は、競合他社との違いをつくることです。この考え方は、マイケル・ポーター博士が提唱された「ポジショニングの論理」に基づいています。違いの作り方は2通りあり、1つはOE(Operational Effectiveness)というもので、物差しを当てて「どちらがより良いか?」を判断するもの、人間で例えると、年齢、身長、体重、視力、脚力などです。これを我々は「Better」と呼びます。
もう1つは、SP(Strategic Positioning)というもので、これは物差しがない違いのこと、人間で例えると、男と女です。これを我々は「Different」と呼びます。
ポーター博士いわく、違いをつくるということはSPであり、「Different」になることであると。他社よりも「Better」であったとしても、それは必ずしも戦略ではありません。結局どちらが「Better」かという競争は、いたちごっこになり、必ず終わりが来るのです。
DELL社の戦略
ここでDELL社の戦略をご紹介します。同社は、コモディティーしかやらない(先端的な技術を追わない)、BTO(見込み生産はしない)、直販(VARや小売チャネルを使わない)、 基本モデルの種類を増やさない(製品コンフィグレーションのカスタマイズ)、自社工場で組み立てる(組立工程でアウトソーシングをしない)、特定少数のサプライヤーと長期取引(マーケットでのスポット取引をしない)――という戦略を取っています。
ポイントは、すべてSPになっているということ。では、社長のマイケル・デル氏は、戦略的意思決定者として何を決めているのか。それは、「何をしないか」を決めているのです。
ファッション業界における戦略~ZARAの場合
戦略の本質とは、他社との違いをつくること。「良し悪し」の価値判断では、違いを破壊する恐れがあります。「ベストプラクティスを導入し…」という話は、他社との違いを抑圧する結果になるため、愚の骨頂です。そうではなく、ポジショニングという考え方に立てば、一つの業界に勝者は複数存在するわけです。例えば、ファッション業界にも戦略的なストーリーで稼いでいるクオリティ企業があります。それは、ZARAです。
ファッション業界は競馬のような面があり、春夏レース、秋冬レースと年に2回大きなレースが開催されます。パドックには、伝統的なファッション企業が集まり、目利きが次に出走する馬をよく見て、どれが来るか、つまりどれが流行るかを賭けるわけです。そして2018年の秋冬レースがスタートし、自分の買った馬が1着で帰ってくれば、ぼろ儲けできます。しかし予想なので、外すこともあります。外してしまえば、馬券は紙くず同然…。ですが救いなのは、すぐに2019年の春夏レースが始まること。また何事もなかったようにパドックに集合し、「今度は当てるぞ」と息巻きます。
こういう世界で、30数年前、スペインの片田舎で商売をしていたZARAは、「なぜいつも外れるのか?」と自問自答していました。そして、出した答えが画期的でした――「予想するからだ」と。
何が売れるか予想して作るから、外れるのだ。始めから売れているものを作れば当たるに違いない。つまりZARAは、ある程度展開が読めてくる第3コーナーで馬券を買うという新しい戦略を立てたのです。そして、まるでファッションの企業とは思えないほど、ロジスティックスやサプライチェーンやシステムに投資し、結果的にこの戦略のクオリティが稼ぐ力となり、「ファストファッション」という新しいカテゴリーを生み出しました。
ファッション業界における戦略~ユニクロの場合
その数十年後、日本のファストファッションブランドであるユニクロも、ようやくグローバル競争の場に出てきました。一体、そこでどのような違いを作ったのか。どのような戦略を立てたのか。実は柳井社長もまた、画期的な取り組みを行いました。ユニクロは初めて牧場に足を踏み入れた会社というのが私の解釈です。つまり、牧場で絶対勝てる馬を自ら育て、勝てる馬しか出走させないという戦略を取りました。例えば、3年かけてヒートテック号を育成。また東レと組んで牧草(素材)も開発。こうしてZARAの戦略の逆を行ったのです。これによりグローバルに独自のポジションを得て、普通の人々の快適な生活を構成する部品としての服=「ライフウェア」というコンセプトを定着させました。
ここで私が言いたいのは、ZARAもユニクロもどちらも勝者だということです。ZARAは一方に向かい、ユニクロは逆に向かったと。これは「良し悪し」の問題ではなく、「好き嫌い」の問題なのです。つまり、OEは「良し悪し」ですが、SPに関しては戦略的意思決定者の「好き嫌い」に依存しているのではないかと考えられます。要するに、トレードオフの選択は、「良し悪し」の選択ではありません。「良いもの」と「良いもの」からどちらを選ぶかの選択なのです。
巨大な帆船から小型クルーザーへ
成熟経済下では、あからさまなオポチュニティはそうそうありません。今後日本は外的環境の中ではあまり良いことを期待できないでしょう。アベノミクスは「そよ風」に過ぎないのです。よって、企業が個別に自分たちの中で価値を創造する、すなわち経営の質が問われてきます。高度成長期の日本は、巨大な帆船でした。風が吹いてくる正しい方向に帆を向けて、力強く航海してきたのです。しかしこれからの日本は、船体は小さいながらも優れた性能を持つクルーザーにならなければいけません。自分たちでエンジンを持つ、つまりそれが自社で作り込んでいく価値創造のクオリティなのです。ポイントは、船長が進むべき方向を自分で決めるということ。そしてこの選択は、「良し悪し」の問題ではありません。
スキルvs.センス
経営者は、商売全体を丸ごと動かして成果を出していくのが仕事です。経営者には「担当」がありません。例えば、飛行機の客室乗務員は、お詫びがやたらと上手になると言われています。もしもエコノミークラスで機内食のカレーライスが切れたら、カレーを希望するお客様への謝罪を何度も何度も繰り返し、お詫びのスキルを上達させていきます。しかし、この客室乗務員が経営者だったら、なぜもっとカレーを作らないのか、そもそもエコノミーの食事は期待されていないのだからカレー1本で行け…などと考えるでしょう。つまり、担当者vs.経営者は、スキルvs.センスという図式で表されるのです。これに関連してわかりやすい例をご紹介しましょう。
「国語・算数・理科・社会」はスキルの問題であり、「モテる」はセンスの問題です。ビジネスに置き換えると、スキルは、ファイナンス、会計、マーケティングなど機能分業の要素単位に対応しますが、センスは、商売全体丸ごと連動します。またスキルは、「TOEIC850点」「弁護士資格が…」などと特定の物差しの上での量の多寡を示せますが、センスは、物差しがないので示せません。加えてスキルは、教科書や学校など標準的開発方法で、育てられますが、センスは、標準的開発方法がないため、育てられません。さらに、スキルは、やれば(それまでより)できるようになる、つまり投入努力と成果の因果関係が明確ですが、センスは(センスがないと)、やればやるほど空回りして、かえってひどいことになる、つまり投入努力と成果の因果関係が不明確です。
誘因(インセンティブ)と動因(ドライブ)
会社の中にいると、「これからは〇〇のスキルが鍵だ!」「〇〇のスキルを身につけよう」などと、何かとスキルに傾斜しがちです。世の中の人々はスキルが大好きです。なぜならスキルは、定義ができる=輪郭がつかめる、フィードバックがかかる、モティベーションが生まれる、見せられる、示せる、測れる、優れた開発方法論がある…など、さまざまなメリットがあります。しかしビジネスにはスキルもセンスも両方とも必要です。「経営者のセンス」×「担当者のスキル」=「商売の成果」につながります。センスの源泉は、「良し悪し」よりも「好き嫌い」です。そこで誘因(インセンティブ)と動因(ドライブ)の違いをはっきりさせる必要があります。
誘因(インセンティブ)とは、外側から人々を誘うもの、例えば「〇〇が成功したら昇進できる!」「給与があがる!」などで、一方の動因(ドライブ)とは、本人が「好きだから」という内側から出てくるものです。誘因(インセンティブ)はスキルには効きますが、経営には効きません。
日本電産の永守重信氏にお話を伺ったことがあるのですが、彼は「“俺の商売”が好き。任侠の親分の“俺についてこい!”が好き」とおっしゃっていました。また、ユニクロの柳井氏は「“デカい商売”が好き。競争が好き。“雑貨”が嫌い。“ファッション”が嫌い。」とおっしゃっていました。他方で、同じファッション業界の社長でも好き嫌いは異なります。ユナイテッドアローズの重松氏は、「“ファッション”が好き。好きなことをしてきただけ。“俺についてこい!”が嫌い。俺は運が良いだけ。」とおっしゃっていました。また、ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイの前澤氏は、「競争が嫌い。自然にできることをする。自分が喜ぶことをするのが好き。」とおっしゃっていました。
好きこそものの上手なれ
大前提として趣味と仕事は違います。趣味は自分のため、仕事は自分以外の誰かのためにするものです。趣味は「好き嫌い」でいいけれど、仕事は「好き嫌い」ではできないと言う人がいますが、私は仕事こそ「好き嫌い」でやるべきだと考えます。そういうことを言うと、「人間はありのままでいいんだよ」と癒し系なことを言う人もいますが、私は「世の中、そんなに甘いものではない」と言いたいです。「普通にできる」はゼロと同じこと。「あれができる」「これができる」と言っているうちは、まだまだ素人です。世の中に人はたくさんいます。「余人をもって代え難い」にならないと仕事にはなりません。さきほども述べたように、スキルに関しては、インセンティブ→努力の強制→スキルの向上→インセンティブという「良さ」への循環があります。スキルまでならこれでいいのです。しかし少なくとも私の場合、「努力」してうまくいった「仕事」は、ただの一つもありません。というのは、「努力が必要」と思った時点で、その仕事に向いていないのです。
私の仕事の原則は、無努力主義です。とにかく努力を一切しません。その本質は、努力の娯楽化こそ最強だということです。つまり傍から見たら努力しているように見えるのに、本人は好きなので娯楽に等しい、というのが理想でしょう。「好き」という起点から→努力の娯楽化→継続的で無意識の錬磨→上手→余人をもって代え難い→成果・人の役に立つ→「好き」…という循環こそ、まさに「好きこそものの上手なれ」だと思います。
ブラック企業・ホワイト企業からの脱却
巷でブラック企業と呼ばれているところは、「仕事がきつい」と言われています。しかし、「きつい」というのは主観です。好きなことなら、全然きつくありません。楽な仕事でも、嫌いな人がやれば、きつく感じるでしょう。電通も、それを批判する週刊文春も、働き方改革を推進する厚生労働省も、みんな大変な仕事です。そもそもみんな「そういう仕事」であり、好きでやっている、少なくとも「嫌いじゃない」はず。ですから私は、ブラックやホワイトという表現はやめて、これからはピンク企業・ブルー企業に分類してほしいと思っています。要するに、それぞれの会社にカラーがあるだけで、どちらが「良し悪し」の問題ではなく、「好き嫌い」の問題なのです。社員の「好き嫌い」を理解し活用する
仕事は成果がすべてですが、好きでやっている人は、仮に成果が出なくても仕事の道中で報われてしまいます。つまり好きな仕事に「負け」はないのです。「好き」は目標を設定できません。「好き」に日付は入れられません。「好き」は命令できません。「好き」は買えません。キャリアは計画できないのです。私は、お金を出しても買えないものが一番だと思っています。「多様性を高めなければならない」という台詞を近頃よく耳にしますが、これは前提として間違っています。なぜなら多様性は、どこの職場にもすでにあるからです。大切なのは、すでにある多様性をインクルージョンすること。その結果として、組織に多様性が生まれます。そしてその多様性はどこから来るかというと、一人ひとりの「好き嫌い」が源泉になっています。こうしたことから、一人ひとりがより高い成果を出すためには、自分の「好き嫌い」を表明し、経営者が一人ひとりの「好き嫌い」を理解し、活用することが不可欠でしょう。しかしみんなが「好き嫌い」を言っていると当然社内は混乱しますので、「この一点では争わない」という会社のミッションは必要です。
日本企業にはいまだに高度成長期のマインドセットを引きずっている「良し悪し」族が多すぎます。一方で、「好き嫌い」族は、一人ひとりが自分の「好き嫌い」を自覚。他人についてごちゃごちゃ言わずに、お互いの「好き嫌い」を尊重して、世の中が回っています。「好き嫌い」をインクルージョンすることこそ、強い組織の条件です。それぞれに異なった「好き嫌い」を持つ人々が、それを前面に押し出して、得意な土俵で得意な仕事をする、それがあるべき姿だと思います。
以上、ご静聴ありがとうございました。