経営を含む現実社会はある種のゲームである。熟達した経営者は、経営をゲームと捉えていることも多く、とある会社の経営者は「ゲームに弱い社員は管理職にしない」と断言している。経営をゲームとするなら、ゲームに強くなれば経営の能力も磨かれるはずだ。しかし、我々は多忙である。ゲームばかりしているわけにはいかない。闇雲に繰り返すのでは効率が悪いのだ。
経営はある種のゲームである
経営を含む現実社会はある種のゲームである。熟達した経営者は、経営をゲームと捉えていることも多く、とある会社の経営者は「ゲームに弱い社員は管理職にしない」と断言している。経営をゲームとするなら、ゲームに強くなれば経営の能力も磨かれるはずだ。しかし、我々は多忙である。ゲームばかりしているわけにはいかない。闇雲に繰り返すのでは効率が悪いのだ。さて、どうすればゲームで効率的に経営者を育成できるだろうか。それには3つの肝がある。まず「目的とする能力が身につくゲームを選択すること」、次に「研修参加者の粒を揃えること」、最後に「事例に飛びつかず、自社の事情を踏まえること」である。では、それぞれについて見てみよう。
目的とする能力が身につくゲームを選択する
将棋を題材に考えたい。将棋はダイナミックな対人遊戯だ。多様な戦法があり、盤面に無限の広がりがある。将棋の学習方法の一つに詰将棋がある。詰将棋は対人戦ではないが、将棋の終盤の場面を切り取り、相手の玉が詰む(=どんな手を打っても負けになる)までの道筋を考えるものである。このため、終盤の意思決定力の訓練に役立つとされる。詰将棋では、盤面を見渡し、取りうる選択肢の把握が欠かせない。次に、ゴールから逆算し、自分の打ち手が無駄なく詰みに近づいているのかを客観的に見る必要がある。これらの2つは、ビジネスで使い古された言葉に置き換えると、「大局観」「合理性」になり、詰将棋で詰みまでの道筋をつけることは、大局観と合理性を育むことになる。これらが必要であれば、詰将棋は良い訓練になる。このように、目的とする能力が身につくゲームを選択することが効率的な育成につながる。このため、ゲームだから導入するというのではなく、ゲームを横に並べ、差異を比較した上で最も目的に合致したものを選択すべきである。
研修参加者の粒を揃える
経営者の育成には、経営の疑似体験である経営シミュレーションが定番だ。しかし、効果があるといっても、研修参加者の粒が揃っている状態は考えにくい。社会人の実力は個人差が大きい。ある人は年100冊以上も本を読み、深い内省をしながら挑戦を繰り返し、ときには大学院にも通って刃を研ぐ。一方で、ある人は社歴や経験こそ豊富かもしれないが、それを振り返ることもなく、漫然と生きていることもある。研修では、こうした粒が不揃いな参加者がごった煮になっていることが多い。粒が不揃いの場合は、勝つ側にも負ける側にも得られるものは多くない。例えば、将棋の対局相手が、簡単な詰将棋で見落としばかりして、無駄な手ばかりを打つのでは面白くない。対戦しても学べる気がしないのではないだろうか。粒が不揃いな参加者が対戦すると、意思決定弱者が自然淘汰され、負ける側になる。時には、苦渋を舐めさせられ嫌な思いをして、良い研修体験にならないだろうし、敗北の原因を不運に帰結させる。人は、勝利は努力に帰結させ、敗北は運に帰結させがちだからだ。
漫画「スラムダンク」で、主人公でバスケットボール初心者の桜木花道がドリブルの練習ばかりで試合に出してもらえないエピソードがある。基礎の大事さを伝えるエピソードだが、ビジネスでも同じである。基礎も分からずにビジネスの舞台に立っても、負けるだけである。意思決定弱者にビジネスの基礎となる意思決定を教えれば、この差が少なからず埋まり、粒が揃うことにつながる。こうして、相手のレベルが自分に近い状態になってはじめて切磋琢磨が可能になる。では、どのようにこの差を埋めるかについては、意思決定の学習の第一歩には、相手の打ち手や運に影響されない状況でのトレーニングがふさわしいと前回「ビジネスパーソンの99.9%が正解できない意思決定ゲーム」で書いたので、そちらを参照してほしい。
相手の打ち手や運に影響されない状況下で訓練して、一定のレベル ―― 例えるなら「簡単な詰将棋で正解を出せるレベル」―― に到達するために、詰将棋という静的環境で定跡を学ぶことが先決である。静的環境である詰将棋は擬似的な対局である。とある局面で最善手を考えるのが詰将棋だが、相手が常に最善手を取る合理的な相手と想定すると、相手の動きは確定的で、運・不運や相手のレベル、感情に左右されない。このため、「こういう局面ではこういう手を打つのが定跡だ」と自分で気づける。仮に気づかなかったとしても、指導者の足場掛け(スキャフォルディング)を通じて学べる。こうした定跡を学ぶことで、動的環境で戦う基盤が整い、動的環境でも戦えるようになる。そのレベルに達するまでは、相手がいて刻一刻と変化する動的環境で打ち手を考える対人の将棋のようなゲームや、相手の打ち手や運によって結果が変わるゲームは学習効率が悪い。「勝ったゲームは良いゲーム」という格言がある。勝者は気持ちよくなるだろうが、そうした体験では自己効力感を上げる効果しか望めないだろう。
事例に飛びつかず、自社の事情を踏まえる
経営者育成にゲームを使う事例は豊富にあり、うまくいっていそうな事例を聞くと、つい飛びつきたくなる。ただし、事例には注意した方が良い。事例というものは、各社の事情を踏まえた施策であり、あらゆる場合に汎用的に成果が出るわけではない。前提となる事情が似通っていなければ同じような効果が出るとは限らない。とある会社では、カリスマ経営者の主導で後継者育成を熱心に行い、その中でゲームを用いている。そして、それは成功しているように見える。ただし、前提として、その会社には徹底した基礎教育があり、更に、経営者のビジネス哲学と近いゲームを何度も繰り返すことへの時間投資に強くコミットがある。だからこそ成功しているのだ。
しかし、多くの会社では、同じ対象者が複数回同じ研修に参加する機会は与えられない。更に、徹底した基礎教育を行っているとは限らない。更にいえば、その事例の会社と同じビジネスモデルだとも限らず、目指すゴールも異なる。こうした事情を踏まえずに、「ゲームで後継者育成をする」施策だけを模倣しても成功は覚束ない。基礎がない参加者を連れ出して1度遊ぶだけで、後継者が育つような魔法はない。
歴史を振り返ると、天才と称されたカルタゴのハンニバルも、当時の先達であるアレキサンダー大王の用兵を模倣した。将棋ではプロ棋士も定跡をなぞる。ビジネスでも、先達が生んだフレームワークを使用する。このように様々な局面で小さな判断を行うための定石・定跡を知識・体験の両面から学ぶことが重要である。素人に経営を任せないのは失敗するからである。何も知らない素人に実践さながらのゲームをしてもらうのは早すぎる。