これができないと会社がコケる!? 後継者育成の盲点とは?

管理職への昇進とは、経営側に足を一歩踏み入れることだ。しかし経営側と従業員側では、考え方が異なるため、管理職昇進時には管理職研修を実施したり、管理職を対象に定期的に管理職研修を実施したりしている会社が大多数である。
管理職と一般社員の違いとは何だろうか。

経営側に足を踏み入れた際に何を行うべきか

 管理職への昇進とは、経営側に足を一歩踏み入れることだ。しかし経営側と従業員側では、考え方が異なるため、管理職昇進時には管理職研修を実施したり、管理職を対象に定期的に管理職研修を実施したりしている会社が大多数である。

 管理職と一般社員の違いとは何だろうか。正解のない問いかもしれない。なぜなら管理職研修は管理職と一般社員の差分を埋めるために実施するために行われるが、その差分の定義は企業によって違うからである。よって、管理職研修の内容も千差万別である。例えば、管理職研修の内容が労務管理やコンプライアンスなどだけのこともあれば、部下育成、目標管理制度などの評価制度の仕組みの理解、財務会計や管理会計などを行うこともあるし、時には、会社の理念やビジョンを改めて考えることもある。日数だけをとっても、1~2日程度の会社もあれば、1ヶ月程度かけることもある。

意思決定力が後継者育成の盲点である

 私は、企業の管理職研修に欠落しているもの、つまり研修では埋まらない管理職と一般社員の差分は「意思決定」だと考えている。管理職になると裁量が大きくなり、自己の判断で意思決定できることが増えるが、それを適切に行うための研修が行われていないのだ。

 意思決定研修と呼べるような研修を実施している事例は、私の知る限り少ない。研修会社のラインナップには、意思決定の研修がなくはないが、お問合わせがほぼない「不人気コース」だという。意思決定研修への関心が薄いのはなぜだろう。意思決定力が既に備わっているからだろうか。優先度が低いからだろうか。

 先日、管理職選抜の「ヒューマンアセスメント」を扱う友人と意思決定について話をした。管理職候補を対象にしたヒューマンアセスメントでは、量的・質的に管理職候補の管理職適性がデータ化される。その実施結果を見ると、「実行」に優れる一方で、「判断」「決断」の弱さが顕著だとのことだった。意思決定はやはり管理職の弱みであり、対処すべきなのである。

意思決定をなぜ学ばなければならないのか?

 私たちは、朝起きてから眠るまでに何度も意思決定を行っている。例えば、朝食の献立という生活上の意思決定もあれば、会議に参加せずに緊急度の高い資料作成を行うべきか、自分が発見した新しい事実を上申すべきかなど、ビジネス上の意思決定も多々ある。

 実は「意思決定が日常的なこと」こそが「学ぶ必要がない」と考えられがちな理由ではないだろうか。意思決定は毎日行うから「できるのが当然」と考えられてしまう。これは、「文章を毎日書くから、あえて文章作成を学ぶ必要はない」とか「コミュニケーションは毎日行うから、あえて学ぶ必要はない」という論理と似ている。しかし、毎日行うことと、その質が高いことは必ずしもイコールではなく、毎日行うから必要がないと考えてはいけない。毎日のことだからこそその質が重要なのである。

 ドイツの社会学者のマックスウェーバーは、意思決定を4つに類型化している。そのうち3つは学ばなくてもできるものだが、最も重要な1つは必要があるにも関わらず学ばれていない。それを説明するのに先んじて3つの類型を説明しよう。
1.感情による意思決定は説得力に欠ける
 1つ目の類型は「感情」によるものである。好きだからやる、嫌いだからやらないといったものだ。感情による意思決定は誰にでもできる。例えば、気に入った営業担当や業者に優先的に発注するといった経験は多くの意思決定者にあるだろうし、面識のない相手よりは面識のある相手に発注したいと思う気持ちは自然である。ただし、本人には合理的なこの意思決定も、他者から見ると、非合理で説得力に欠けて見えがちである。

2.これまでやってきたことが正しいとは限らない
 2つ目の類型は、「伝統」である。伝統というと「これまでやってきたから」という思考停止に見えがちだが、悪いことばかりではない。過去の意思決定が妥当であれば、ゼロから判断しなくてもよいため、省力化できる。例えば、研修体系を毎年ゼロから作ると聞くと「そんな手間のかかることはできない。悪いところだけを手直しし、うまくいっているところは継続する」と考えるのが普通だ。環境変化や制度疲労がない限り、伝統による意思決定は有効である。しかし、前提が変わった場合には機能しなくなり、改めての意思決定が求められる。伝統に盲目的に隷属するのではなく、意思決定の必要性を改めて判断できるかが大切である。

 ゲーム研修を行うと、ゲームの初期に決定した意思決定を変更できずに過去の意思決定に従って判断し、最適解を見落とす参加者が多い。「そもそも何のためにそう決めていたのか?」と過去には合理的だった判断を疑うこともときには重要である。

3.価値観と合致していれば合理的と言えるか?
 3つ目の類型は、「価値合理性」だ。仮に儲かるとしても、経営理念に合致しない選択肢を選ばないことはあるだろう。価値合理性は価値観との整合性である。価値合理性は、経営理念という価値観に合意がある社内では合理的だが、社外から見ると非合理に見えることもある。

 ここまでに説明した3つの意思決定は、多くの人が日常的に行えており、学ぶ必要が薄いが、これらだけでは合理的で説明力のある意思決定とは言い難い。

ほとんど学ばれていない経済合理性はゲームで学べる

 意思決定の最後のピースが「経済合理性」である。経済合理性は、簡単にいうと、数字で損得の判断をすることである。例えば、「100円投資して120円もらう」のと、「80円投資して100円もらう」のではどちらがよいかといったものである。この程度だと簡単なのだが、込み入った内容になると途端に答えがだせなくなるビジネスパーソンが多い。

 かつては勘・経験・度胸で意思決定を行えばうまくいった。こうした時代には経済合理性は一部の専門家のためのものだった。しかし、勘・経験・度胸だけではうまくいかなくなってきた現代では、経済合理性を含めた4つを総合的に勘案して意思決定するために、経済合理性を学ぶ必要があるのである。

ゲームでの意思決定を振り返ることで意思決定が学べる

 こうした経済合理性の学習機会を「意思決定研修」に替わって提供するのが「ゲーム研修」である。経済合理性が勝利と結びつくようなゲームを選定すれば、経済合理性に基づいた意思決定を行った参加者が勝利しやすくするようにできる。そうしたゲームで行った様々な意思決定を適切に振り返ることで、意思決定が学べるのである。

 ゲーム研修は、「ゲーム」という手法の名前が研修名になっており、何をするものなのかがわかりにくいと言われることがある。研修は手法ではなく学習内容が重要である。ゲーム研修の学習内容を研修名につけると、ゲーム研修は「意思決定研修」という側面が大きい。
後継者が最も学ぶべき意思決定はゲームで学べるのだ。