HRサミット・経営プロサミット2015講演レポート。「逆境からの再生 -イノベーションのジレンマを超えて-」をテーマにコダック合同会社 代表執行役員社長 藤原 浩 氏による講演の模様をお届けする。
コダック合同会社 代表執行役員社長
藤原 浩 氏
1981年、日本電子株式会社に入社。本社経営企画部配属後10年間の米国駐在を経て帰国。1995年から2006年までSAPジャパン株式会社において、代表取締役COO(最高執行責任者)兼CFO(最高財務責任者)を歴任。その間、売上20倍の急成長を支えた。2007年から株式会社フィリップス エレクトロニクス ジャパンにおいてヘルスケア部門の社長兼COOを務め、競争の激しい日本市場でビジネスの再編と成長を牽引。2011年7月、コダック株式会社 常務取締役に就任。2012年2月に米国本社Chapter11宣言と共に代表取締役社長に就任、事業再生をリードした。現コダック合同会社 代表執行役員社長。Kodak Koreaの社長を兼任。
藤原 浩 氏
1981年、日本電子株式会社に入社。本社経営企画部配属後10年間の米国駐在を経て帰国。1995年から2006年までSAPジャパン株式会社において、代表取締役COO(最高執行責任者)兼CFO(最高財務責任者)を歴任。その間、売上20倍の急成長を支えた。2007年から株式会社フィリップス エレクトロニクス ジャパンにおいてヘルスケア部門の社長兼COOを務め、競争の激しい日本市場でビジネスの再編と成長を牽引。2011年7月、コダック株式会社 常務取締役に就任。2012年2月に米国本社Chapter11宣言と共に代表取締役社長に就任、事業再生をリードした。現コダック合同会社 代表執行役員社長。Kodak Koreaの社長を兼任。
チャプターイレブンでコダックの再生加速を決意
私がコダックに入ったのは2011年ですが、この頃にはすでにコダックが「チャプターイレブン」に入ることが見えていました。チャプターイレブンというのは、日本で言うと民事再生法に似たスキームです。コダックは2006年頃から新しいトップを招へいし、フィルムの次に何をやるかについて考えていたものの、なかなか転換点が見出せませんでした。転換を一気に加速しないと燃料が切れてしまうという危機感があり、チャプターイレブンの仕組みで転換を加速することを決め、2011年1月に手続きを開始しました。コダックは再生のスピードを加速させるために4つの方法を考えました。1つ目は、手元の流動性を強化することです。まずお金が回らないと、再生は加速させられません。2つ目は、特許の売却による知的財産の収益化です。3つ目は過去の経緯に関わるレガシーの債務の整理です。例えば「コダックシアター」など、何十年という契約期間で、毎年巨額を払い続けなければいけない契約がありましたが、これを裁判所の力を借りて整理しようと考えました。また従業員に対する債務、年金を圧縮します。コダックはアメリカでも最高レベルのベネフィットを従業員に与えていました。しかし年金を圧縮しないと、収益が上がってもオフセットされてしまいますから整理が必要です。4つ目は次の成長分野を見つける余裕を作ることです。
これら4つの目的を、チャプターイレブンで加速することにしたわけです。コダックはピーク時で1兆6,000億円の売上がありましたが、あっという間に5,000億円へと減少。現在は2,000億円強という規模です。
日本ではなじみのない言葉である「チャプターイレブン」について説明します。アメリカには「チャプターセブン」という仕組みもありますが、セブンは会社を清算する手続きです。イレブンは会社を再生する手続きで全く異なります。また、チャプターイレブンは会社が完全に破たんするということを要件としないこともポイントです。主観的に、これから危ないので早めに助けてもらいたい、というときにも利用可能な手続きです。またチャプターイレブンになると、裁判所が債務について一部支払い延長と債務免除してくれるので、再生を加速させやすくなります。また、DIPファイナンスという特別な再生融資が受けられます。アメリカでは、会社を再生するときによく使われる仕組みです。航空会社、自動車会社など、リーマンショック以降、たくさんの会社がこの仕組みを使って再生しました。ただし、コダックはリーマンショック後に救済された多く企業とは違い、政府の助けを一切借りずに再生しました。
「コダックが倒産する」という誤解を払しょくすることに注力
チャプターイレブンに入ったとき、日本では「コダックが倒産法の適用になった」と報道されました。コダックはなくなってしまうのかというショックが、取引先、お客さま、パートナーにまたたく間に広がりました。日本法人は風評との戦いにかなりの力を費やしました。重要な真実は、チャプターイレブンはアメリカの法律であり、アメリカ外の法人は適応外だということです。日本法人は独立した法人であり、チャプターイレブンの直接の影響は受けません。本国はレガシーコストの切り離しが必要でしたが、日本は独立して、健全なビジネスをやっているということをしっかりお伝えしていきました。日本には国内にコダックの工場が2か所あり、日本の売上の大部分を占める製品の製造は国内で行っており、万が一、他のところで止まっても日本は大丈夫だ、と説明してお客さまの不安を解消しました。色々な問い合わせが来るので、従業員用にQ&Aを作り対応しました。競合他社が一斉に「コダックはやばいぞ」とカウンターメッセージを出してきたので、主に取引するパートナーに対して、できるだけ内容を開示し、日本の経営に影響は及ぼさないことをご説明しました。チャプターイレブンの仕組みの説明も必要でした。我々は倒産するのではなく、再生できるからこそそれを加速するのだと特に強調したのです。もちろん従業員には、社内にいても大丈夫、再生後は次の成長ビジネスがあると継続的に説明しました。とはいっても、日本法人でも2割近い人員配転や削減を行い、難しい経営ではありましたが、優秀な人員を社内に引き止めることに注力しました。
金融機関は本社の情報をつぶさに調べています。そのため、誤解を解く必要はなく、むしろ日本法人として将来ビジネスがしっかり成り立つということを説明することが重要です。チャプターイレブン下で厳しい視線にはさらされましたが、協力、理解していただきました。
日本法人として重視したのは、「お客さまから目を離さない」ということです。お客さまに満足していただければ、我々の将来はあります。「ワン・コダック」として、どの部門でもお客さまの方を向いてサポートしようとイニシアチブを取りました。コダックでは様々な商品を売っていますが、お客さまを1つのアカウントとしてマネジメントする「アカウント・マネージメント」もシステムと共にオペレーションに取り入れました。
もちろん、プロセスの効率化も加速的に進めました。これまではBtoBとBtoCが混じっていましたが、これを従業員が分かりやすいように整理。デジタル分野、ソリューション分野、キャッシュ・カウ(消耗品ビジネス)、日本パートナーとのアライアンス、OEMビジネスに整理して、全社をリードしていきました。
レガシーコスト圧縮とBtoCの全売却により再上場を果たす
チャプターイレブン下にある本社でも、もちろんたくさんのことをやりました。3つの大きなフェーズにまとめると、チャプターイレブンに入ってすぐが最初のフェーズで、事業を継続するための手続きを行いました。第2のフェーズはチャプターイレブンから抜けた後に、どのようなビジネスをやるのか、裁判所に提出する再建計画をつくりました。第3のフェーズは計画と融資の承認になります。これで裁判所に計画を認めてもらい、財務的なバックアップを確保できます。流動性を高めたり、特許を現金化したり、レガシーコストを圧縮したり、集中させる新規事業を考えるなど、色々なことをやりました。主なトピックを挙げると、デジタルカメラからの撤退を表明しました。コダックギャラリーなど様々なコンテンツ資産を売却しました。タイムズスクエアの広告、PGAツアーのスポンサーシップ、コダックシアターの権利を次々に処分しました。コンシューマーのビジネスそのものの売却です。
特許を売却したのは大きなイベントでした。コダックはスマートフォンの画像処理の基本特許を持っていましたが、これらを売却したのです。実は、チャプターイレブンに入る前に売っていれば、少なくとも3,000億円で売れたはずでした。しかし以降に売ったので、買いたい企業が企業連合を組んでしまい、わずか500億円程度で売却となりました。私見ですが画像処理の特許売却については、もったいないことをしたと思っています。買ったのは、グーグルやアップルなど、現在スマートフォン業界で圧倒的優位に立つ会社です。彼らが使っているイメージング技術は、もともとはコダックの特許によるものが多かったのです。元々は1万件あった特許が、現在は7,000件に減りましたが、これはコンシューマーにからむ特許を売却した結果です。
19カ月に及ぶ、一連の長いストラグルでしたが、2013年9月にチャプターイレブンを脱却し、同年11月にはニューヨーク取引所にカムバックできました。新生コダックは、デッド・エクイティ・スワップにより、株式を転換し、株主の構成を変えました。コダックの株主の持っていた株券は、コダックの清算手続きにより、紙切れになってしまいました。その代り、主な債権者の方々に新しい株を持ってもらい、新しく株主になってもらいました。ミラクルな手法です。債権者の多くにコダックの将来に期待していただいたからこそ、できたことです。
商業印刷物に個別向け広告を載せて販促効果を上げる新しいマーケティング
再生後のコダックは5事業で展開しています。1つ目はプリントシステム事業です。商業印刷や新聞など通常の印刷物はプレートと呼ばれる原版にレーザーで描画し、版を作成し、印刷機にかけてその上にインクを乗せて刷る、という方法をとっています。主に印刷産業向けに一連の消耗品、プロセスの機器、ワークフローのソフトウェアを扱います。2つ目はエンタープライズインクジェットシステム事業です。インクジェットのプリンターには版がなく、直接紙に何でも書けるという利便性があります。これを商業的に使える規模、スピード、コスト、クオリティにしたのがコダックのインクジェットシステムです。電車ほどの大きさの巨大なインクジェットの印刷機で、毎分900メートル、毎ページ違う内容が刷れる画期的な装置などを扱います。
3つ目はマイクロ3Dプリンティング&パッケージング事業です。包装の分野で、紙だけではなく立体的なものに印刷する技術を扱います。4つ目はソフトウェア&ソリューションズ事業で、印刷にまつわるITソリューションビジネスです。5つ目はコンシューマー&フィルム事業で、コダックはコンシューマー事業から離れましたが、映画フィルムの生産を続けています。また、コダックブランドを他社に提供し収益を上げています。
2つ目の事業で紹介したインクジェットの印刷機が面白いのは、新聞、広告を一部毎に内容を変えて出力できることです。ダイレクトメールでも、中身をその人の趣味に合わせた内容のダイレクトメールが作れます。版を使わない商業用のインクジェットは、色々なマーケティングの可能性を秘めており、非常に注目され、世界各地で導入が進んでいます。国内にはまだ例がありませんが、海外では、新聞全面で版を使わずインクジェットで刷っている会社があります。日本では、従来の輪転機にインクジェットのヘッドを付け、いわばハイブリットにして、同じ記事だけを一部だけ可変で印刷し、番号やゲーム性のある内容を載せる、ということが行われています。この新しい販促を導入しているのが、例えば中日スポーツや中日新聞、トヨタ自動車、ツタヤといった企業です。ユーザーに1人ずつ違ったQRコードを付け、ウェブに入ってどう回遊するか分析したところ、同じQRコードの広告の5倍、10倍のアクセス数になり、高いレンジで販促効果が得られると証明されています。ツタヤは地域ごとに異なるクーポンを刷り、地域ごとのクーポンの反応の違いを分析しています。
面白い分野をあげると、スマホなどで使うタッチパネルをアメリカで製造しています。従来のタッチパネルは中国でしかとれない希少金属を使わないと製造できません。コダックの銀塩フィルムで培った製造技術なら、銅の細かいメッシュを使い、ローコストで新しいタッチパネルをつくることができます。製品化して発売しつつあるところであり、コダックの今後の新しい顔となるでしょう。
コダックはビッグデータにも取り組んでいます。コダックのメインのお客さまは印刷業者ですが、彼らは競争力のあるコンテンツ作りのノウハウをあまり持っていません。技術的にどれほど綺麗に印刷できても、ニーズに合う消費者に届けないと意味がありません。そこで、情報を欲する人たちに届けようと、ビッグデータから濃い情報を抽出するよう取り組んでいます。ソリューションのポケットを増やし、経営者のあらゆる悩みに応えていく方針です。
コダックは特殊な『イノベーションのジレンマ』である
クレイトン・クリステンセン教授の著書『イノベーションのジレンマ』では、巨大企業がある製品で市場を席巻しても、ベンチャー企業が画期的な別の製品を出すとすぐに市場を失ってしまうことを「イノベーションのジレンマ」と定義し、コダックを典型的な例に挙げています。しかしコダックは自らカニバリズムをした例であり、クレイトン教授の指摘が必ずしも正しいと私は考えません。つまりコダックは、自らの発明で自分の脚を食う、ということを運命的にやらざるを得なかった特殊な例なのです。コダックは世界で最初にデジタルカメラを発明しました。デジタルカメラが出なければフィルムの時代はまだ続いたでしょう。コダックもそれに気付いていて、発明後3年は製品を一切外に出しませんでした。満を持して少しずつ外に出したところ、製品化に関して日本企業のほうに優れた点があり、結果的に自らのフィルム市場を失ってしまったという皮肉に陥りました。
コダックには130年の長い歴史があり、国を代表する社会的な存在でした。コダックのファウンダーであるジョージ・イーストマンが世界で初めてフィルムを開発し、現在の写真技術の基礎を築きました。そのような、過去の、変えられない遺産を多く持っており、急激な変化への困難さで差がついたのではないかと考えます。特許の扱いについては、先に述べたように、もう少し早く売却していればチャプターイレブンに入らなかったし、全く違ったビジネスモデルになっていたのではないかと考えています。
コダックが再生できたのは、明確な再生ビジョンを持ち、全組織で危機感を共有し、ステークホルダーとしっかりコミュニケーションをとり、スピードと実行力で進めたことにあります。昨今もかつてハイテクの雄で優良企業としてのステータスをエンジョイした巨大企業が危機に瀕している例がみられますが、その再生のヒントはここにあるのではないかと考えます。コダックが正しいブランドイメージで再生できたことをこれからも発信し、皆さんに継続して注目していただければ幸いです。