一人ひとりの個性や考え方を活かす――違いを受容し、多様性を尊重する組織づくりとは(前編)

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2020年5月、ポーラ・オルビスグループの社内ベンチャー制度から誕生した、株式会社encyclo(エンサイクロ)。代表の水田氏自身が「ニーズが見過ごされている」と感じた経験から、「すべての人の、美しくありたい想いを解放する。」をミッションとし、レッグウェア・インナーウェアの企画販売を行っている。

今回、「主体性を挽き出す」をミッションとして数多くの組織・個人を支援してきた株式会社HRインスティテュート 取締役 狩野尚史が、株式会社encyclo 代表取締役 水田悠子氏と対談を実施。ポーラ・オルビスグループが掲げる「個を中心とする」経営理念と深く結びついた起業理由や、事業にかける想い、理想とする組織の在り方などについて、語り合った。その内容を、前編・後編の2回にわたってお届けする。(以下敬称略)

目次

「すべての人の、美しくありたい想いを解放する」encycloの事業

狩野:水田さん、お久しぶりです。私はポーラ・オルビスグループ様の次世代リーダー育成塾「未来研究会」の講師を長年任せていただいているのですが、水田さんは2009年度の受講生でしたね。

水田:狩野先生、本日はどうぞよろしくお願いします。「未来研究会」以降も何度かお会いしていましたが、コロナ禍後にお目にかかるのは初めてですね。

狩野:そうですね。水田さんは当時から優秀な方でしたが、今日は起業家としてのお話しもお伺いできるのが楽しみです。ではまず、水田さんが立ち上げたencycloの事業についてお聞かせください。

水田:encycloは、ポーラ・オルビスグループ発の社内ベンチャーです。私自身の子宮頸がんの闘病経験をもとに、それまで見落とされてきた病気と向き合う方の「美しくありたい」という想いに着目し、2020年に立ち上げました。現在、「MAEÉ(マエエ)」という、女性向けのビューティーとヘルスケアを同時に叶えるブランドを運営し、レッグウェアやインナーウェアといったオリジナル商品の企画開発と販売をしています。具体的な商品としては、がん治療後の後遺症「リンパ浮腫」に悩む方に向けた医療用弾性ストッキングをはじめ、おしゃれをしながら本格的なむくみケアが叶う着圧ソックスなどです。

狩野:社内ベンチャー制度での起業ということですが、水田さんは、もともと起業志向はあったんですか?

水田:いえ、それがまったく…。私、いわゆる“サラリーマン”でいることがすごく合っていて、起業するなんて夢にも思っていなかったんです。ポーラ・オルビスグループのカルチャーが私にはとっても合っていて、化粧品の開発など楽しく仕事をしていました。それが変わったのは、29歳で子宮頸がんに罹ったことです。今思えばそこまで進行してはいなかったのですが、やはり「がん」ですから、命のこと、死について、自分に何が残せるのか、闘病中に色々なことを考えました。そして1年2カ月ほど休職をして、ラッキーなことに元の職場には戻れたのですが、価値観が大きく変化していたことから、病気をする前と同じように仕事をすることが、すごく難しかったんですよ。

狩野:以前のように、手放しに仕事を楽しめなくなっていたんですね。

水田:闘病中に「仕事なんてどうでもいいから、自分の命の方が大事」と思ってしまったことに罪悪感を持っていました。そして商品は2年くらいかけて開発をしていくのですが、「担当商品が世に出る頃には、この世にいないかもしれないのに、どういう気持ちで関わっていったらいいんだろう」と、ネガティブにもなりました。「定年まで30年、ずっと窓際社員でいいや」と、投げやりな気持ちもありつつ、仕事にコミットできないことにうしろめたさも感じていました。それまで元気で恵まれた人生を送ってきたから余計に、変わりゆく価値観を持て余していたんです。

ポーラ・オルビスグループの「個」を中心にする考え方に感化され、起業へ

狩野:価値観が変わっていくことに、ご自身も戸惑っている中で、どうして起業に気持ちが傾いたのでしょうか。

水田:きっかけとなったのは、2017年にグループ理念が刷新された際に打ち出された、“個”中心経営という考え方です。「A Person-Centered Management」つまり、一人ひとりの個性や感受性、美意識、個を起点としたものの見方、考え方を最大限尊重する、という考えに感銘を受けました。「ポーラの水田悠子」ではなく、それまで社会の中で生きてきた水田悠子の経験や価値観を、そのまま仕事の中で活かして欲しいというメッセージだと感じたんです。

それまでは、「病気をしたけど、弱さを会社では見せてはいけない」「仕事に一生懸命コミットしているように振る舞わなくてはいけない」「病気に対する不安は、会社の人には関係ないから隠さないといけない」と、がんじがらめになっていたんです。だけど、「A Person-Centered Management」は、それらを全部解放して、全部そのまま仕事に活かしていいということです。この経験や感じたことを、何か形にできないだろうかと思って、社内ベンチャー制度に応募しました。

狩野:「A Person-Centered Management」については、ポーラ・オルビスホールディングスの経営方針のお話を聞いて、私も雷に打たれたような衝撃を受けました。その人がその人である所以は、単に会社で経験したことだけではなく、これまでのすべての経験や喜び・苦しみをつなぎ合わせたもの。それが唯一無二のオリジナリティなのだから、その「個」を中心に、社会に対して想いを発信して欲しいというのが、会社の想いなのだと思います。それは本質的なことなのですが、経営として実践していくのは難しいことです。ポーラ・オルビスグループでは、それを本当に進めているところが素晴らしいですね。

水田:一人ひとりが違う感覚や経験を持っているからこそ、複数の人で組織をつくる意味があるんですよね。みんなが「ポーラ・オルビスグループの●●」という仮面をかぶって同じような行動をするのなら、何千人も雇用している意味がない、そのくらい強烈なメッセージだと捉えました。だからこそ、病気後は仕事に対して消極的になっていた私でさえも突き動かされたんだと思います。

狩野:貴社の商品開発もマーケティングにも、その考えは反映されていますよね。お客さまを十把一絡げ(ひとからげ)ではなく、一人ひとりを見る姿勢を大切にしていると感じます。それは商品やサービスもですが、ポーラ美術館でも、画一的な感覚を押し付けるのではなく、一人ひとりの感性を尊重していることをメッセージとして世の中に発信していますね。

水田:私、ビジョンに誰よりも共感している自信があります(笑)。

病気の治療後、当事者になって見えた景色

狩野:事業はどのように考えていったのですか?

水田:私が子宮頸がんに罹るまでは、「29歳、東京在住、独身、働く女性」でしたから、あらゆる商品・サービスのターゲットだったんです。もう引く手あまたですよね。みんなが私にモノを買って欲しい、サービスを利用して欲しいって、色んな方法でアプローチされました。私自身も、商品企画の仕事をしていて、多くの人に「欲しい」と思ってもらえるものをつくってきたつもりでした。

だけど…、病気をして治療をしたら、後遺症が残って、毎日医療用の弾性ストッキングを履かなければならなくなったんです。それは分厚くて、とても「おしゃれ」とはいえない見た目でした。他に選択肢もなく、欲しいものがひとつもないんです。その時、「ああ、もう誰も私のことをターゲットにしていないんだ」って気付きました。

狩野:属性としては変わらないはずなのに、自らが当事者になったからこそ見えた景色なんですね。

水田:私という人間は何も変わっていないのに、病気をしたら誰も私のことを見てくれなくなった。最初は怒りと驚きだったんですけど、新鮮な気持ちもありました。「すごいブルーオーシャンがある!」って。だから、病気をして思いがけないことがあっても、前と変わらず自分らしくセンスを発揮して、おしゃれやビューティーを楽しみながら生きられるようなモノをつくりたいと思ったんです。

狩野:従来の弾性ストッキングと、encycloの「MAEÉ」のストッキング、同じ医療用とは思えないほど、見た目が全然違いますね。

水田:そうなんですよ。「MAEÉ」の商品も、一般医療機器届出済みで、保険も適用される弾性ストッキングです。なぜここまで見た目が違うのか。従来品は医療業界の人が作っているから、医療的な要件を満たすものとして作られているんですよね。「後遺症の心配なく生活できるようにつくられた」ものですけど、私はビューティー業界に身を置くものとして、これを進んで履きたくないなと思いました。そのうちいいものが出てくるだろうと思ったけど、7年経っても何も変わらなくて。

狩野:「むくみを取る」機能だけにフォーカスして作られていて、医療業界ではそれが当たり前で、誰も疑問には思わなかったんでしょうね。使っている人も、見た目は好ましくなくても「病気をしたんだから仕方ない」と、ニーズに蓋をしてあきらめて。だから変わらなかった。

水田:従来品の弾性ストッキングを履いている姿を見せたくないから、隠している人が多いんですよ。スカートは全部捨てたとか、甲の浅いパンプスも履かなくなったとか。それを、「そうじゃなくていいよ」「美しくありたいという想いを解放していいんだよ」って言ってあげられるのは、そして実際にそういうモノを作って世に出せるのは私しかいないって思いました。だって、一生履くものなら、せめてきれいに見えた方がいいじゃないですか。

「当たり前」から解放されることで、前進できる

狩野:そう考えて前に進んでみたら、分厚くて当たり前だった弾性ストッキングが、一般的なストッキングと同じくらいの薄さにできたんですね。

水田:そうなんです。実は、私が履きづらいと感じていたストッキングと、当社のストッキング、作っているのは同じ工場なんですよ。もしかしたら、どうしてもこの見た目じゃないといけないのかもしれないし、何かネックがあってこういう色なのかもしれない。でも、実際に工場の方に聞いてみたら、「色や縫い目の位置を変えるくらいならすぐにできるよ!」って。もちろん、生地の薄さと圧迫機能の両立など実現させるのは難しい部分もあったのですが、技術的なハードルよりもユーザーのニーズを知らなかった、という面が大きかったんです。

狩野:テクノロジーではなく、問いが新しかったんですね。そう考えると、実は困っているのになかなか可視化されていない、目には見えない困りごとは沢山あるんでしょうね。「知る」ことの大切さを改めて感じました。

水田:化粧品会社も、「装うことでなりたい自分でいたい」というユーザーのニーズを満たしているようでいて、実は全然満たされていないターゲットがいることに気付いていなかったんですよね。今、ポーラ・オルビスグループの事業領域も、化粧品の枠を超え、ウェルビーイングに拡張しようとしています。

だから、私がパーソナルな体験から感じたことって、やはり会社にとってもすごく貴重な気付きだったはずです。このリンパ浮腫と弾性ストッキングの問題ってあくまで一つのニーズが表層化しただけであって、実際に掘り返せば、同じようなニーズが世の中にいっぱいあると思いませんか?という問題提起ができたと思います。それは、一人ひとりの頭の中や心の中にあります。あきらめていることとか、当たり前だという思い込みから自分を解放すれば、前進することがあるんです。

狩野:病気になったことを弱みと捉えるのではなく、逆に「誰もが経験できることではない」強みに変えていけば、自分だけができることが見えてくる。これはまさに、ポーラ・オルビスグループの皆さんが大切にしている姿ですよね。一人ひとりの経験は誰にもまねできないし、個性も誰とも同じではない。encycloの事業は、その象徴的な事業だと思いました。

・後編の内容はこちら
一人ひとりの個性や考え方を活かす――違いを受容し、多様性を尊重する組織づくりとは(後編)

対談者プロフィール

■水田 悠子氏/株式会社encyclo 代表取締役
2005年(株)ポーラに入社し、販売現場や、新商品の企画開発を経験。2012年29歳のときに、子宮頸がんを罹患。1年あまり休職して治療に専念した後、同職場に復帰。2018年よりオルビス(株)に異動後も商品開発に携わる。2020年5月、ポーラ・オルビスグループの新規事業として㈱encycloを創業。

■狩野尚史/株式会社 HR インスティテュート 取締役 プリンシパルコンサルタント
株式会社 HR インスティテュート 取締役 プリンシパルコンサルタント大手建材メーカーにて、商品研究&開発部門、BtoBセールス部門、販売チャネルのIT化推進リーダーを経てHRIに参画。ビジネス開発&人財開発に強いミッションを持つ。新規ビジネスプランニング支援、ビジネスモデル構築、戦略構築を中心にコンサルティングに従事。研修講師として主にビジネスモデル構築研修、戦略シナリオ研修、マーケティング研修などを担当。

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