人的資本の情報開示とは?義務化に伴い知っておくべき対象企業や開示項目をわかりやすく解説

人材を企業価値向上の源泉とみなし、社員の持つ能力を最大限に引き出す人的資本経営。より良い経営の指標として、国際社会で人的資本の情報開示規制が進む中、やや遅れた日本でも、上場企業に対して情報開示の一部義務化が決定されました。

この記事では、人的資本の情報開示はいつから行われるのか、義務化される時期や、その対象企業、開示項目について、わかりやすく解説します。

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目次

人的資本とは?

「人的資本」とは、個人が持っている才能や、身に付けた能力、スキル、資格などを資本として捉える考え方です。18世紀に、イギリスの学者アダム・スミスが「すべての住民や社会構成員の獲得した有用な能力」の重要性を強調したことから、経済学領域で認識されるようになった概念です。

現状、その定義は、各国の研究者や政府機関などによって多少異なりますが、日本では、一般に以下のOECD(経済協力開発機構)の定義が広く活用されています。

  • OECDの人的資本の定義:個人的、社会的、経済的厚生の創出に寄与する知識、技能、能力及び属性で、個々人に具わったもの

参考:人的資本の測定に関する指針(仮訳)|国際連合欧州経済委員会

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人的資本の情報開示とは?

人的資本の情報開示とは、自社の人材が持つ能力(人的資本)にまつわる情報を、さまざまなデータや指標を用いて社外のステークホルダーに公開することです。

近年は、世界的に人的資本の開示について関心が高くなっており、2018年にはISO(国際標準化機構)が世界初の人的資本情報開示ガイドラインとして「ISO30414」を公開しました。

日本でも2020年9月に経済産業省が「人材版伊藤レポート」を公表して以降、人的資本の情報開示に注目が集まりました。また、2022年8月には内閣官房が、上場企業向けに人的資本に関する開示のガイドライン「人的資本可視化指針」を公表しています。

なお、人材を企業の「資本」として捉え、社員の知識や能力を企業価値の源泉とみなして、それらを高めて伸ばす教育に継続的に投資をする経営を「人的資本経営」と呼びます。

関連記事:人的資本経営とは?意味と注目されている背景を分かりやすく解説

人的資源との違い

「人的資源」は、人材を経営の四大資源「ヒト、モノ、カネ、情報」の一つであり資源と位置付ける考え方です。資源とは消費するものなので、人材はあくまで労働力として捉えられます。経済学者によって多少定義は異なるものの、基本的には人材や人材教育などの費用を「コスト」とみなす概念といえるでしょう。

人材を「投資すれば大きな価値を生み出す資本」と捉える人的資本とは、考え方がかなり異なります。なお、近年、人材は資本であり適切な費用や時間を投資して価値を高めることが企業価値向上につながるという考え方の人的資本経営は、世界的に注目されています。

人的資本の情報開示が注目された背景

人的資本の情報開示に注目が集まった背景には、主に次の3点が挙げられます。

①ESG投資の広まりと米国における開示義務化

世界的なESG投資(「Environment:環境」「Social:社会」「Governance:ガバナンス」)の広まりにより、企業の人的資本の可視化を投資家から強く求められたこと、加えて2020年8月、米国証券取引委員会による要求事項「レギュレーションS-K」(財務諸表以外の開示に関する要求事項)の中に「人的資本の情報開示を義務付ける項目」が追加されたことなどから、一気に情報開示の流れが世界の潮流となりました。

②超高齢化社会における労働力不足

また、超高齢化社会の日本においても、企業が積極的に人材へ投資する人的資本経営をおこなうことで労働生産性を向上させ、企業価値の向上を図ることが求められています。

③ダイバーシティ経営の推進とイノベーション創出の必要性

激化するグローバルな市場競争に打ち勝つためには、多様な人材を育成・活用するなどしてイノベーションや価値創造につなげ、その取り組みを「人的資本」として投資家やステークホルダーにアピール(情報開示)する必要性が、より一層高まっているといえるでしょう。

関連記事:ISO30414とは?人的資本に関する開示項目と企業の取り組みを解説

情報開示のメリット

企業が人的資本の情報開示をおこなうことで得られるメリットには、次の3点が挙げられます。

①人材戦略や優位性が明確化される

人的資本の情報開示に向けたプロセスの中で、自社の人的資本が組織の成長にどれくらい影響しているのかを客観的に把握することができます。自社の強みや弱みを可視化し、他社との比較をすることで、企業の優位性や経営戦略を明確化していくことは、大きなメリットになるでしょう。

②株主や投資家との対話の糸口になる

また、人的資本の情報開示は、ステークホルダーとの対話や意見交換において、重要な契機となります。ステークホルダーの率直な意見や評価、フィードバックを自社の目標や経営方針に取り入れることで、組織課題の改善や強化につながるからです。

③ブランディングや採用活動によい影響を与える

人的資本の開示によって、企業の方針やパーパス(存在意義)広く知ってもらうことが可能となり、その結果、社会から共感や支持が得られ、ブランドイメージや人材の採用活動にもよい影響をもたらすことができます。

関連記事:グローバルスタンダードとは?意味や日本企業の課題を解説

人的資本の情報開示は2023年から義務化

日本では、2023年3月期決算から上場企業などを対象に人的資本の情報開示が義務化されています。具体的には金融商品取引法第24条における「有価証券報告書」を発行する約4,000社の大手企業が対象です。

2023年3月期の決算から、有価証券報告書にサステナビリティ情報の記載欄が新設されており、対象企業は人材育成や環境整備の方針・指標・目標などを明記する義務があります。

具体的な記載項目欄は「戦略」「指標及び目標」の2カ所です。戦略については人的資本に係る「人材育成方針」「社内環境整備方針」を記載します。指標及び目標の欄には「測定可能な指標(インプット、アウトカム)目標および進捗状況」の開示が義務となっています。

なお、女性活躍推進法または育児・介護休業法にもとづく情報公開をすでにおこなっている場合は「女性管理職比率」「男性育児休業取得率」「男女の賃金格差」などの項目の開示も義務となります。

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人的資本の開示項目とは?

日本国内の開示項目

2022年8月に政府が「人的資本可視化指針」の中で、人的資本の開示項目を示しています。具体的には下表の「人材育成」「エンゲージメント」「流動性」「ダイバーシティ」「健康・安全」「労働慣行」「コンプライアンス」の7分野、19項目です。

情報開示では、自社の人的資本への投資状況や人材戦略の在り方をわかりやすく伝えることがポイントになります。どのような開示ニーズに対応するのかを明確にしながら進めること、また自社の経営戦略と可視化した内容がどのように結びついているのかについて、ストーリー性を持たせて説明することがポイントです。

【開示項目の7分野19項目】

分野項目
人材育成リーダーシップ、育成、スキル/経験
エンゲージメントエンゲージメント
流動性採用、維持、サクセッション
ダイバーシティダイバーシティ、非差別、育児休業
健康・安全精神的健康、身体的健康、安全
労働慣行労働慣行、児童労働/強制労働、 賃金の公平性、福利厚生、組合との関係
コンプライアンスコンプライアンス/倫理

(出典:内閣官房 非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」 )

7分野の概要を解説します。

分野①:人材育成

人材育成は、情報開示が必須の分野です。具体的には「リーダーシップ」「育成」「スキルと経験」の3項目があります。自社の経営戦略にのっとった人材育成方針と目標を掲げ、さらに取り組みの進捗状況について開示することが求められます。

内容としては、リーダーシップやスキル向上のための育成プログラムの種類やその対象者、一人あたりの研修時間や費用、複数分野の研修受講率、人材定着のための取り組みなどがあります。

分野②:エンゲージメント

従業員エンゲージメントを高めるための施策と、従業員エンゲージメントの状況について情報公開を求められます。施策には、パーパスの浸透や人事制度の変革、多様な働き方の推進などが考えられます。

エンゲージメントを可視化する手法としては、ストレスチェックや顧客満足度調査、従業員エンゲージメント調査などのサーベイがあります。定期的なサーベイを実施することで、従業員エンゲージメントの持続的向上を示すことができます。

分野③:流動性

人材の流動性を指します。「採用」「維持」「サクセッション」の3項目があります。優秀な人材を採用するための取り組みやリテンション施策、後継者育成のための取り組みや成果についての情報公開が求められます。

採用・維持の指標には、採用人数や採用コスト、定着率、離職者数、離職率、重要ポジションの離職率などがあります。サクセッションの指標としては内部異動率や後継者カバー率、社員の移行支援プログラムなどが考えられます。

分野④:ダイバーシティ

ダイバーシティも情報開示が必須です。「ダイバーシティ」「非差別」「育児休業」の3項目があります。施策の内容としては、ダイバーシティを推進するための制度の導入や賃金格差を是正するための措置などが考えられます。

指標は多様であり、リーダー組織の多様性や社員の多様性、男女別平均給与格差、正社員・非正規社員の福利厚生の差、女性管理職の比率推移、男女別育児休業取得数、育児休暇後の社員の復職率及び定着率(男女別)などがあります。

分野⑤:健康・安全

健康・安全の分野の項目は「精神的健康」「身体的健康」「安全」です。企業が社員の健康や労働環境に対しておこなっている取り組みや現状の健康度合い、安全度を示す情報の可視化が求められます。

例えば、労働災害の発生件数や割合、業務上の傷害・健康障害による死亡者数、健康・安全に関する取り組みの内容、安全衛生マネジメントシステムの導入、医療やヘルスケアサービスの利用促進と適用範囲などが該当します。

分野⑥:労働慣行

労働慣行分野では、企業と労働者の間で公正な関係が築けているかどうかを示す情報の公開が求められます。「労働慣行」「児童労働・強制労働」「賃金の公正性」「福利厚生」「組合との関係」などの項目があります。

例えば、グローバル企業なら「自社及びサプライヤーの業務において、児童労働・強制的労働に関わる重大なリスクがあると考えられる場合の説明」などが該当します。その他、平均賃金や最低時給、団体交渉の権利など組合との関係を示す情報の開示などが該当します。

分野⑦:コンプライアンス・倫理

コンプライアンスとは、法令遵守を指します。企業として法律を遵守し、社会的な規範や倫理観にもとづいて活動できている情報の開示が求められます。

例えば、ハラスメント実態調査や内部通報制度の有無、コンプライアンスに関する研修を受けた社員の割合、労働者へのハラスメントを防ぐための方針とプログラムの説明などが考えられます。業務停止件数や苦情の件数と種類、差別事例の件数とその対応措置などの情報も該当します。

世界における開示に向けた指針

世界的には、スイスのジュネーブに本部を置く非営利法人「国際標準化機構(ISO)」が人的資本の情報開示に関する国際的なガイドライン「ISO30414」を発表し、開示に向けた指針をまとめています。

ISO30414では「コンプライアンスと倫理」「コスト」「ダイバーシティ」「リーダーシップ」「組織文化」「健康、安全」「生産性」「採用、異動、離職」「スキルと能力」「後継者計画」「労働力」の11領域で合計58の指標が定義されています。

国際標準化機構(ISO)は、これらの11領域のうち、どの項目について情報開示するかを各企業の判断に委ねているため、その選択を戦略的におこなうことが重要です。

【ISO30414が指標として定める11領域】

領域概要
コンプライアンスと倫理ビジネス規範に対するコンプライアンスの測定指標
コスト採用や雇用、離職など、労働力のコストに関する測定指標
ダイバーシティ労働力とリーダーシップチームの特徴を示す指標
リーダーシップ管理職への信頼などの指標
組織文化エンゲージメントなど、社員の意識と定着率の測定指標
健康、安全労災などに関する指標
生産性人的資本の生産性と組織への貢献の指標
採用、異動、離職人事プロセスにおいて、適切な人的資本を提供する企業の能力を示す指標
スキルと能力個人の人的資本の質や内容に関する指標
後継者計画後継候補者の育成度合いに関する指標
労働力社員数などの指標

(出典:ISO30414「Human resource management — Guidelines for internal and external human capital reporting

関連記事:HRテクノロジーで変化するESG経営とは?ESGの意味やSDGsとの違いを解説

人的資本の情報開示における3つのポイント

自社で公表する情報を選択する際には「人材戦略として独自性のある項目」と「他社と比較・差別化しやすい定量的な項目」の両方を、戦略的に開示することが大切です。以下の3つのポイントを意識しましょう。

ポイント①:開示情報のストーリー性

内閣官房の「人的資本可視化指針」にも書かれているように、人的資本経営を実現するには、経営戦略と人材戦略の統合的なストーリー性がポイントになります。

取り組みの内容と成果を単に記載するのではく、自社がどのような経営環境のなか、どのような経営戦略のもとに人材戦略を考えて投資しているか?その結果どのような成果が得られているかをストーリー立ててまとめましょう。あわせて、今後も企業価値を高めるために、いつまでにどのような目標を達成していくかも示します。

ポイント②:開示情報の定量化

開示情報は、なるべく定量化して具体的に示すことが大切です。取り組みの内容自体は文章での表現になりますが、目標や目標と進捗のギャップ、スタート時点からの変化などは、数値で示すとわかりやすくなり説得力が増します。

ステークホルダーは数値で情報を示されると他社との比較が容易になります。しかし、仮に他社と比較して数値がよくない場合でも、順調に成果が出ていることが明確になれば、積極的な取り組みを実施している企業として評価される可能性があります。

ポイント③:開示情報の適切な選定

開示情報の選定には2つの視点が必要です。一つは、現在のステークホルダーが企業にどのような情報の開示を最も求めているかという視点です。例えば、昨今ならダイバーシティ、男女の待遇差の解消、非正規社員と正規社員の格差解消といったテーマを重要視する投資家が増えています。

もう一つは、自社の独自性や魅力をいかにアピールできるかという視点です。ここはビジネスモデルや人員構成、社風によって異なるため、まずは開示できる情報を整理して検討してみましょう。

関連記事:未来人材ビジョンとは?日本型雇用システムからの転換と具体策を解説

人的資本に関連する企業事例

3社の人的資本開示例をご紹介します。

事例①:株式会社日立製作所  

日立製作所は、人的資本をサステナビリティ(持続可能)な目標を実現するための大切な財産として捉え「多様性」に関する人的資本情報を開示しています。

おもな施策として「Diversity, Equity & Inclusion.」「デジタル人財の確保・育成」「グローバルでの日立のカルチャーの醸成」「ジョブ型人材マネジメントの推進」を掲げ、経営目標と連動したKPIとして「エンゲージメント指数」「海外従業員比率」「デジタル人材数」を設定しています。

なお、エンゲージメント指数については、2022年度に2024年度目標の「従業員エンゲージメントスコア(肯定的回答率)68%」を前倒しで達成。2024年度の目標を上方修正しています。

事例②:オムロン株式会社

オムロンは、多様で多彩な人材の活躍やリーダーの育成と登用を重要視しており、積極的に人的資本を公開しています。

「女性管理職の登用数や割合」「外国籍人材の雇用率と在籍数」「障がい者の雇用率」などの情報を詳細に開示しています。例えば、女性経営基幹職は2013年度1.5%という状況でしたが、2021年度にはグループ国内女性管理職比率8%を達成しています。さらに、2024年度までに18%以上にすることを目標に掲げています。

オムロンは、意欲ある人材の能力を高めることを目的に、グローバル全社員を対象に従来の3倍にあたる3年で約60億円の人材能力開発に投資することを公開しています。

事例③:双日株式会社

双日は、人的資本経営の実現に向けて、人材戦略の3本柱「多様性」「挑戦」「成長」を掲げて、2021年に6つのKPIを設定し情報を公開しています。

すでに2023年時点で育児休暇取得100%という目標を達成しました。また、2030年時点で「女性総合職の海外・国内出向経験50%以上」、2026年までの目標として「外国人のCxO(業務執行統括責任者)比率50%以上」「デジタルエキスパート比率25%以上」を公開しています。

特徴的な点としては、グローバルサプライチェーン末端の人権尊重に向けた施策について、調査のうえで詳細な情報を公開しています。双日は、一般社団法人HRテクノロジーコンソーシアムなどが開催する「人的資本調査2022」で、独自性の高い取り組みが評価され「リーダーズ企業」に選定されました。

まとめ

2023年3月期決算から、上場企業などを対象に人的資本の情報開示が義務化されました。対象企業は「有価証券報告書」を発行する、約4,000社の大手企業です。

開示項目として、2022年8月に「人的資本可視化指針」の中で政府が発表した「人材育成」「エンゲージメント」「流動性」「ダイバーシティ」「健康・安全」「労働慣行」「コンプライアンス」の7分野、19項目が示されています。

企業にとっては、自社の経営戦略とどのように結びついているのか、ストーリー性を持たせていながら「人材戦略として独自性のある項目」と「他社と比較・差別化しやすい定量的な項目」の両方を、戦略的にかつ積極的に情報開示をおこなっていくことがポイントになるでしょう。

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