なぜ「多様性の尊重」から「多様化」への転換が必要なのか?

日本ではまだ表記されること自体も少数ですが、ダイバーシティを論じる際にセットで用いられるはずの「インクルージョン」が、日本企業ではまだまだ浸透していない現状があります。日本企業のウェブサイトなどで、「わが社のダイバーシティ施策」などと表記される割に、インクルージョンという言葉が十分に認識されていないように見受けられます。

「ダイバーシティ=多様性の尊重」というふわっとした幻想

 日本ではまだ表記されること自体も少数ですが、ダイバーシティを論じる際にセットで用いられるはずの「インクルージョン」が、日本企業ではまだまだ浸透していない現状があります。
 日本企業のウェブサイトなどで、「わが社のダイバーシティ施策」などと表記される割に、インクルージョンという言葉が十分に認識されていないように見受けられます。
 その一方で、ダイバーシティは「多様性の尊重」といったどこか古めかしい解釈で広まり、その結果、弊害を生みかねないダイバーシティ経営が進められているのを多々見かけます。
 念のため書き添えますと、本連載や筆者が言う「ダイバーシティ経営」は、ダイバーシティ&インクルージョンをビジネスの場で人権擁護を踏まえて実践しつつ、現場視点と経営視点の両面から対立葛藤を超えて個と組織と社会が包括的に関わり合い、企業が社会に意義ある存在として持続的発展を遂げるためのあり方、というものを指します。
 「エクスクルージョン」は排除・排斥ですが、その反対語である「インクルージョン」は社会的な一体性・(文化・人種などの)多様性の受け入れという意味があります。
 インクルージョンは、ビジネスや社会の場において、障がい者・健常者・異なる国籍・文化・宗教・人種・性別・年齢など、さまざまな方がお互いに協調しあって存在しあうといったことを意味します。
 職場でしたら、多国籍な職場環境や、企業内託児所などで大人も子供も職場にいてストレスフリーで、ノン・ハラスメントな状態を指すようなものと筆者はお伝えしております。
 さて、日本企業で多く見られる「ダイバーシティ=多様性の尊重」というとらえ方では、経営・現場の双方で様々な問題が生じます。
 「多様性の尊重」と聞くと何となく素晴らしいように思えるし、人々の幸せと企業の成長を同時に叶えてくれるようなイメージを持ちますが、これがかえって、固定的で画一的な仕組み化を推し進め、企業も人も社会も不幸せにしかねないことを、筆者は非常に危惧しております。

日本各社で生じている「やらされ感ダイバーシティ」

 欧米における「アファーマティブ・アクション」や、日本においてはいわゆる「ポジティブ・アクション」などを通じ、ダイバーシティ経営は、本来は、人権擁護・権利獲得などのある種の「戦いの成果」として、企業も個々人も適応しながら自らが主人公としてお互いが幸せになりあいながら享受するものです。
 例えば、日本人を含む有色人種が、「肌の色」で差別された場合、就労や昇格昇進の不平等が生じていることに対して「私達も働かせて欲しい」「私達も能力に応じて平等に昇進昇格を扱って欲しい」とアクションを起こすことで、当事者の勤労意欲を高めるだけでなく経営陣も多彩なメンバーの多様なアイデア・感性を活かした成長戦略をとって共に活躍し、企業の成長が導き出される主体的な取組みがダイバーシティ経営なのです。
 しかし、日本企業の現場では、育休・産休・介護休業などの制度や他社と似たり寄ったりの『ダイバーシティ施策』を切り貼りして、経営陣は「さあ君たち、ダイバーシティ施策を用意したから、この画一的な人事制度や経営陣・管理職の意識の下で、存分に多様性を発揮してくれたまえ。我々は、その多様性を尊重してあげるよ」という「高みの見物型ダイバーシティ」が繰り広げられています。これでは、ダイバーシティ経営の構造的問題が何も解決していません。
 一方の現場からすると、企画や話し合いに参加することなく、いきなりふってわいたかのように、「(経営陣から)ダイバーシティ施策を用意したから活用して成果をあげろと言われてもなぁ……」というやらされ感ばかりが強くなり、「ダイバーシティ」の相互のメリットや、労使・同僚間・職場内などでお互いに幸せになり合うものであることを実感することなどできないのです。

「画一的なダイバーシティ施策」が企業・職場・社会を不幸にする逆説

ダイバーシティ施策の代表格のようにいわれる産休・育休取得で、実際に企業で起こった事例をいくつかご紹介します。
 まず1つ目は、ある女性社員が産休・育休を申し出たとき、上司である女性の社員に「私達が総合職として自分の出産や育児を犠牲にしてキャリアに人生をささげたのに、今の女性の社員は甘やかされてる」というようなことを言われたというものです。
 同じ女性であっても、女性の総合職導入の波乱に満ちた黎明期を乗り切らざるを得なかった上司と今の部下の関係では、必ずしも幸せに至る形で相互の理解が得られるわけではないこともあります。
 2つ目は、先と同じ産休・育休の申し出ですが、上司が男性の社員だったときの事例です。
 女性の社員の申し出を受けると、これまでとうって変わって途端に上司の態度や対応が冷たくなったり、「ただでさえ忙しいのに休業を取るなんていいご身分ですね。私はシフト組みや人員対応で非常に面倒で迷惑です」と嫌味を言われたりしたという事例がありました。
 また、3つ目は、産休を申し出たことで退職を強要され、新しく男性の社員が雇用されたりするケースもありました。
 いずれも、同性同士や異性間における明確なマタハラ(マタニティー・ハラスメント)事例ですが、妊産婦が企業現場からエクスクルージョン(排除・排斥)されていて、ダイバーシティ施策があってもインクルージョンに至っていない事例でした。
 こうした例のほかに、管理職の立場であっても両親の介護のために介護休業を取得する場合や、女性がキャリアを積んでいく過程において、「仕事か家庭か」という狭い選択肢の中で悩むケースも決して珍しいことではありません。
 筆者は経営者として1年間の育休を取得しました。仕事一辺倒だった独身時代には考えられなかった「仕事を顧みず家庭に没頭する」という経験から、家庭・男女共同参画を推進しながら、今も3歳の息子の育児等に積極的に取り組んでいます。
 しかし、少なからぬ日本企業の経営陣・管理職などの男性諸氏において、仕事・役職をその人から取り去ったら何が残るのか、家庭や社会でどんな貢献をしているのかわからない方々がいたり、「家庭を顧みず仕事(と不倫など余計なことも含め)に没頭」して熟年離婚に陥ったりする方々がいらっしゃいます。
 少子高齢化の社会的課題への対応も、家庭内の男女不平等も、同性同士を含めたダイバーシティ施策活用を契機とする「多様性を尊重させられる」職場内の不和など、ダイバーシティ施策を用意したらそれで十分ではなく筆者なりに言う「ダイバーシティ・パラドックス」な実態が、筆者へのお悩み相談や経営指導で持ちかけられたり、企業現場で筆者が否応なく目にしたりする形で現れています。

ダイバーシティ&インクルージョンのカギは「多様化」にある

 画一的なダイバーシティ施策を、経営陣・上司は状況に適応しないまま形だけ取り入れ、部下は、他の人にサポートしてもらうための申し送りとして隠れ蓑にし、本来果たされるべき義務・責務をないがしろにしたまま、ダイバーシティ施策の「濫用」状態で職場不和を生じさせている企業が少なくありません。
 本来は多様な個性を互いに活かしていこうとする中で生じ得る対立葛藤や各種課題を克服して、「幸せになり合う」ために設けられたはずのダイバーシティ施策を、活用すればするほど職場も社会も不幸になる「ダイバーシティ・パラドックス」に知らず知らずのうちに陥っているのです。これを解消しなければ、企業も個人も社会も幸せにならないと筆者は思っています。

 冒頭で登場した「インクルージョン」を含む、本連載や筆者のいうところの「ダイバーシティ経営」では、「多様化」にポイントを置いています。
 筆者が実践していることでもありますが、「多様化」を導くにあたって、最も即効性のある対応策は、社長自らが「多様化」し、職場や社会の多様性に適応することです。
 例えば、社内に多様化の意識を導くためのごく小さな「投資」として、「自分のことは自分でする」という「社長の多様化」にトライしてみましょう。
 いまだに、秘書や部下にお茶くみをさせる、という社長が少なからずいらっしゃいます。確かに、社長という重責を担う方が、付加価値を生まない単純作業をするのはムダだという感覚も理解できなくはありません。
 しかし、そんな中で「自分のお茶は自分で入れて飲む」というごく単純な行動をしてみることは、営業本部長や他の役員がそれを見たときに、「社長が自分のことは自分でやっているのに、その部下の私が、部下にお茶くみさせるわけにはいかないなぁ」という、研修よりも即効性かつ波及効果の高い、役職員の意識の多様化を導きやすいよう、重責を担うものが単純作業をするというちょっとした投資なのです。

個と組織の多様化・生き方・働き方・働く場所などの多様化

 多様化には、個・組織の多様化のほかに、職場での生き方・働き方・働く場所の多様化があります。
 個の多様化では、生産現場で言えば「多能工」化するような感じかも知れませんが、社長をはじめ役職員の一人ひとりが、様々な個性・価値観・感性やさまざまな状況に応じた対応力の向上を進めることが重要です。
 その過程で、コンフリクト・マネジメント能力やコミュニケーション能力が高まり、その結果、プロとして単に成果を出すだけでなく、さらにその個性・価値観・感性があるがゆえの新サービス・新製品や新たなビジネスモデルやニーズの把握と対応を行いつつ、他者と協調して新たな成長戦略としての成果を高めていくことで、「和して同ぜず」働く世界で戦うために必要なグローバル人材としての能力をも高めていくことができるのです。
 結果として、個の多様化は多難なリスクや激変する経営環境の課題を乗り切るレジリエンス力を育成するなど、企業成長に欠かせない「人材育成」について機能します。
 組織の多様化としては、性別や年齢、国籍、文化、宗教など様々な背景を持つ人が社内外から集うことで、新たなニーズの発見やサービス・商品の提供など、企業価値向上を導き得る可能性を秘めています。
 ワークライフバランスは、ダイバーシティ経営の一部として、生き方・働き方の多様化の一形態ですし、テレワークやフリーアドレスやクラウドコンピューティングを活かした「場所に縛られない働き方」ができるIT環境整備をはじめ、各種HR Techを活かした働き方などは、働く場所の多様化(ワークプレイス・ダイバーシティ)で、効率性や生産性や創造性を高める上で役立ち得るものでもあります。
 もちろん、会社という組織でイキイキと生き働く上で、上司-部下間・異なる個性や多様な個々人間での意識の多様化が、協調性あるプロとして経営視点・現場感覚・コスト意識と幸せの観点から、企業健全化に不可欠なものとして求められています。
 そして、インクルージョンを意識した言い方で筆者なりに言えば、「会社側が役職員の生き方・働き方の選択肢を多様化して提供する」ことが、ダイバーシティ経営による持続的発展可能な対応として求められることなのです。
 多様化なくしてダイバーシティ経営なし、と筆者は常々述べておりますが、ダイバーシティ&インクルージョンを進める上で、単に「多様性の尊重をしましょう」というお話しから、相互の「多様化」を「幸せになり合う」ためのキーワードとして浸透させることが、日本企業・社会に必須であると筆者は思う次第です。