人的資本経営の広がりと働く人の価値観の多様化の中で「エンゲージメント」がいま注目されている
寺澤:本日は、『エンゲージメントコンパス』のリリースにあたり、監修していただいた守島先生とお話していきたいと思います。まずはサービスの重要な要素となっている「エンゲージメント」に関してお聞きしたいのですが、「人材版伊藤レポート2.0」で、人的資本経営を成功させる5つの要素の1つに「社員エンゲージメント」が挙げられています。人材の力が企業の力を大きく左右する時代にあって、社員のエンゲージメントレベルを把握し、その向上に努めることはもはや不可欠となりましたね。
守島氏:まさに人的資本経営の広がりの中で、人的資本経営をどこまで行っているかに関するKPIとしてエンゲージメントに注目が集まっています。人的資本経営とは何かという議論がありますが、要は人材価値を最大化するということです。人材価値の発揮度が働く人たちのエンゲージメント状態につながるため、重要な指標として注目されているということです。
ただ、これまで企業が従業員のエンゲージメント、いわば心の状態に以前は無関心だったかというと、必ずしもそうではありません。むしろ、従業員満足度サーベイやモラルサーベイなどに対しては、非常に高い関心を抱いてきました。しかし以前と異なるのは、ワークスタイルやライフスタイルの多様化、ジョブ型雇用などの普及により、企業と人との関係が多様化し、単に一方向の満足度やモラールつまりモチベーションだけを見ていては、働く人の企業価値向上への貢献のあり方がみえにくくなっているのです。また働く人そのものや、働く人のもつ価値観等も多様化してきました。結果として、「こうすればモチベーションが上がる」という絶対的な打ち手がなくなってきています。そこで、企業も働く人の多様なココロの状態を把握し、様々な打ち手を講じるために、エンゲージメントサーベイにより注目し始めたのではないでしょうか。
寺澤:かつては企業と働く人との関係はそれほど多様ではありませんでした。しかし現在、人それぞれ価値観も異なり、単に給与を上げればいい、福利厚生を充実させればいいというわけではありません。そういう意味でも、エンゲージメントサーベイを特に重要視しているということですね。ただ、日本企業のエンゲージメントは、国際比較では極端に低いというデータがあります。
守島氏:日本人は文化的に、自社や自分の仕事に対し極端に低い評価も、極端に高い評価もあまりつけないため、真ん中に評価がまとまります。それに対して欧米人は、自社や自分の仕事に対し高い評価を付ける人も多いため、実態は悲観するほど低くはないのだと思います。でも、内容的な面からみると、日本人は自分の職に対する危機感や飢餓感が低いのではないでしょうか。エンゲージメントは、単に心が満たされているかどうかを測るものではなく、ハッピーな状態でありながら、ガッツを持って主体的に業務に取り組む度合いを測定するものです。そうすると社命で動いてきた日本人は、そのガッツの度合いが低いのかもしれません。
寺澤:企業と働く人との関係性の状態は、欧米と日本とでは異なるところがあると思います。日本の場合は解雇が簡単ではなく、終身雇用の慣習が長い間続いてきたため、たとえ従業員が不満を持っても、それは親に文句を言うようなもので簡単に関係性が切れるわけではありません。また、異動や転勤も社命で決まります。そうした関係のもとでは、欧米と同じ尺度でエンゲージメントは測定できないのかもしれませんね。
なぜ「職場エンゲージメント」が重要なのか
寺澤:一方で、日本も雇用に関する状況が昨今大きく変化してきています。先ほど守島先生のお話にもあったように、最近は企業と人との関係性の多様化が進み、またジョブ型雇用を導入する企業も徐々に増え、より職務に対するエンゲージメントが重要視されるようになりました。エンゲージメントサーベイも、実に様々なサービスがみられます。ただ、サービスによっては欧米と同じ基準で測定されるなど、サーベイごとに基準はまちまちで、エンゲージメントサーベイを活用する人事も混乱していることは事実です。
守島氏:確かに、エンゲージメントに関する様々な情報が錯綜している印象はありますね。「エンゲージメント」に関する普及している考え方としてあるのが、オランダのユトレヒト大学ユトレヒトスクールのシャウフェリ教授らが提唱した「ワーク・エンゲージメント」の概念です。これは、その人がどれだけ仕事に対して、あるいは組織に対して頑張っているかという、主観的な仕事経験の強さや良さを測定するものだと言われています。一方、アメリカで普及しているのが、「従業員エンゲージメント」です。これは「ワーク・エンゲージメント」を少し広げて、ユトレヒトよりも多様な側面を入れた考え方です。
寺澤:「エンゲージメント」と一口に言っても、何に対するエンゲージメントなのかが不明確です。また標準データが欧米企業の場合、日本企業の実態に当てはまらないこともありますね。
守島氏:その通りです。今回採用したのは、エンゲージメントの対象を分けて測定しようという考え方で、アメリカの一部の学者から最近出てきているものです。それは、自分のやっている仕事に対して熱意を持ち集中して取り組んでいる程度をみる「職務エンゲージメント」、企業と従業員との信頼関係や従業員の企業に対する思い入れの程度を示す「組織エンゲージメント」です。しかし、日本企業のエンゲージメントを測る上では、それだけでは足りません。職場の仲間に対して愛着心や思い入れをどれだけ感じているかを示す「職場エンゲージメント」が非常に重要な要素となります。これは欧米では薄い概念です。一緒に働く仲間へのエンゲージメントです。
寺澤:今回『エンゲージメントコンパス』を開発する中で、守島先生の「職場エンゲージメントが重要だ」というお話を聞き、なるほど!と思いました。世の中に数多あるエンゲージメントサーベイを見ても、この概念を取り入れているサービスは見られないようです。また、エンゲージメントサーベイを実施したとしても、なぜその結果になったのか、そしてどのような打ち手が効果的なのか、見えにくいということもエンゲージメントサーベイの課題だと私たちは考えました。
「エンゲージメントの対象がわかりにくい」「原因や打ち手が見えにくい」というサーベイの課題を解消できるように
寺澤:弊社では、このようなエンゲージメントサーベイの現状と課題を背景に、今回の『エンゲージメントコンパス』の開発に踏み切りました。サービスの具体的な特徴を紹介する前に、ここで概要や想いについて少しお話しをしたいと思います。今回、多くの方にこのエンゲージメントサーベイを利用していただきたいため、弊社が運営する人事ポータルサイト「HRプロ」で『エンゲージメントコンパス』を無料提供していきます。
サーベイの設問自体は絞り込んでシンプルな構成にしており、短時間で回答できるようにもしています。さらに回答後は、日本企業のエンゲージメントの標準的データと比較することができます。また、無料で定期的に何度も利用できるため、自社の時系列での比較もできますし、標準データの変化との比較も可能です。
さらに、サーベイの回答者の匿名性を担保しています。誰が回答したかわからない方がバイアスが掛かりにくく、客観的なデータを取得できるからです。私たちは、このようにして日本全体のエンゲージメント状態を客観的に把握し、多くの企業に役立てていただきたいという想いがあります。
守島氏:私は監修という立場で『エンゲージメントコンパス』の開発に携わりましたが、サービスの仕組みとしては、エンゲージメントの対象がわかりにくい、原因や打ち手が見えにくいという課題を解消できるようにしています。具体的にはエンゲージメントの対象を、「職務」「職場」「組織」の3つに分類して分析しています(図1)。これにより、「この人は職務に対してのエンゲージメントは低いが、職場や組織に対しては高い」といったパターンも把握できます。
また、エンゲージメントは働き手の状態ですから、必ずその要因があるはずです。いわゆる従業員経験です。さらに、エンゲージメントの状態によって出てくる職務行動も異なります。『エンゲージメントコンパス』では、9つの既定要因(従業員経験)、3種のエンゲージメント、6つの結果行動・成果の3段階で調査することができます(図2)。したがって、エンゲージメントの状態が、どのような生産的な行動や創造的な行動につながっているのかがわかりますし、どうすればエンゲージメントが改善するのかも、ある程度わかるようになります。
こうして、「職務」「職場」「組織」という3つの対象と、「要因」「状態」「成果」という3つの系列を掛け合わせて分析できることが大きな特徴となります。
寺澤:エンゲージメントの状態を正しく把握できること。そしてその原因と結果も同時に把握できることで、因果関係を調べたり、具体的な施策を考えたりできますね。一例として、これからジョブ型雇用を導入し、キャリア自律の意識のもと、公募制で社内の流動性も高めていこうとしている企業があるとします。その企業が『エンゲージメントコンパス』を利用してみたところ、組織や職場エンゲージメントは高いが、職務エンゲージメントが低い結果が出たとすると、ジョブ型雇用を進めていくには、職務エンゲージメントを高める必要があることがわかります。このように『エンゲージメントコンパス』では既定要因と行動・成果だけでなく、3つのエンゲージメント状態が把握できるため、打ち手も考えやすいということですね。
守島氏:そうです。組織エンゲージメントは高いが、職務エンゲージメントが低いということは、目の前の仕事にはあまり一生懸命になれないが、組織で何かをする時には頑張るということです。おそらく企業変革や新事業を興す時には、“職務を遂行する”というよりは“組織のために自分の職務そのものを変える”ことが必要になりますから、組織エンゲージメントが高い方がいいのです。ただ、ある程度職務が明確で粛々と進めることが必要な場合は、職務エンゲージメントを高めるのがいいでしょう。こうしたときに、どのレバーを押せばその企業の状況にあった従業員行動が出てくるのか、『エンゲージメントコンパス』では把握できます。それが他のサーベイとは圧倒的に違うところですね。
具体的な打ち手の指針となる「9つの既定要因」と「6つの行動・成果」
寺澤:先ほど守島先生にお話しいただいたように、『エンゲージメントコンパス』では、エンゲージメントそのものだけではなく、既定要因と行動・成果も調査します。既定要因は9つ(多様性、自律性、明確性、フィードバック、重要性、処遇、評価プロセス、会社支援、信頼・互恵)ありますが、この中からいくつか代表的な要素について、守島先生、ご紹介いただけますか(図3)。
守島氏:例えば「多様性」が日本企業でも叫ばれていますが、多様な社会が生きやすいかと言うと、そうではない側面もあります。なぜなら、価値観や慣習が異なるとぶつかりやすく、マネジメントが難しいからです。つまり、多様性はエンゲージメントの低下につながる側面があります。でも、多様性はあるが、エンゲージメントが高いという企業もあります。そういう企業は、多様性のマネジメントをうまくやっている企業です。逆に、多様性を高めたらエンゲージメントが下がったという企業は、何かしら手を入れる必要があるとわかります。エンゲージメントコンパスでは、個々の企業の症状をあぶりだして、対策を考えるきっかけを提供します。
寺澤:『エンゲージメントコンパス』では、D&I施策の結果がエンゲージメントにどう反映されるか、時系列で把握することができますね。
守島氏:その通りです。さらにもうひとつ既定要因で重要なのが「フィードバック」です。これからは1on1のようにフィードバックの個別化がポイントになります。フィードバックがエンゲージメントにつながっていないのであれば、1on1の内容に問題があったり、部下の状況に合わせたフィードバックができていない可能性があったりします。そこを調査し、改善していくことが必要ですね。
寺澤:続いて、6つの行動・成果(達成志向行動、支援行動、クリエイティブ行動、プロアクティブ行動、満足度、残留意図)についても解説頂けますでしょうか(図4)。
守島氏:6つの行動・成果については、3つの軸があります。1つは「達成志向行動」です。ちゃんと目標を設定し、そこに向けて粛々と頑張っている状態がわかります。ただ、現代の企業はでは過去とは異なるものを取り入れて、新しいものを創ることが必要な場合も多くあります。それが、「クリエイティブ行動」や「プロアクティブ行動」に表れます。プロアクティブ行動はチャレンジや変革への主体的取り組み、クリエイティブ行動は、両利きの経営で言われる探索的行動、つまり新たなものの探索の程度を表しています。さらに、「満足度」「残留意図」といった軸は、全ての貢献のベースとなる要素です。
寺澤:例えば、企業が大きな変革をして社員の自己変革を促すためにエンゲージメント状態を見ることは非常に大切です。そうした一定のストレスがある時期に、例えば、残留意思が低まっており、転職する人材が多くなる傾向があるなど、それがどこに影響して、どういう行動に表れているのかがわかると、重点的にそこをケアできますね。
扱いやすいデータだからこそ、社内議論の良い材料となる
守島氏:開発の時に寺澤さんとも議論しましたが、『エンゲージメントコンパス』は手軽に受けられる人間ドッグのようなものです。リアルタイムで把握できることを考えると、ウェアラブルウォッチのような感覚ともいえます。様々な数値や指標があり、それによって自社や組織の状態を把握することができます(図5)。かつ、時系列で変化を追っていくには、何度も受けていただくことが重要です。このサービスは無料で受けていただきやすいので、少なくとも半年に1回、できれば3ヵ月に1回ほど受けていただくことをお勧めします。そして、少数の部署だけではなく、できれば企業全体で実施いただきたいですね。
寺澤:人的資本経営のデータとしても利用可能ですね。データを扱う場合、個社ごとに事業戦略や経営の状況が異なるため、なぜそのような結果になるのか、因果関係については企業ごとにその状況を紐づけながら分析をする必要があります。『エンゲージメントコンパス』では既定要因・エンゲージメント・行動を把握できるため、会社の中でディスカッションをするための良い材料となりますね。
守島氏:データは、あくまでも入口です。そして入口と出口をつなぐのは、企業の中でのディスカッションです。データに基づき、「なぜそうなったか」「今後どうすべきか」というのは、会社の中の人にしかわかりません。その材料となるデータがあまり多すぎても、少なすぎても判断ができません。『エンゲージメントコンパス』の良い点は、適度なデータ量であることです。ぜひこの結果を活用して、社内で議論を進めていただきたいです。
寺澤:人事やデータの専門知識がない人にもわかりやすいアウトプットにすることは、守島先生と開発を進める上でこだわったところです。人事の専門家だけではなく、経営層や事業部のマネジメント層にとってもわかりやすいようなデータ量と構成にしているため、議論のポイントも見えやすいと思います。実施しやすく、エンゲージメントの状態だけでなくその要因・結果も把握できる『エンゲージメントコンパス』を、ぜひ多くの企業にご活用いただきたいですね。