【特別対談】東大・柳川教授に聞く「生成AI×人事業務」のイマとこれから。最新テクノロジーとどう向き合い、未来を形作っていくか?
Introduction
近年は生成AIをはじめ、さまざまなテクノロジーの波というべきものが、人事領域に押し寄せている。「データドリブン」人事への転換がかなり以前から指摘され、さらに「人的資本開示」の影響で、テクノロジーと向き合うことは避けられない状況となっている。一方で、本来は業務の効率化や質的向上などさまざまな恩恵をもたらすはずのテクノロジーだが、活用に戸惑うケースも少なくない。
これを受け今回、AI、IoT、ビッグデータなど最先端のテクノロジー活用に関する知見を豊富に持つ、東京大学大学院 経済学研究科 経済学部 柳川範之教授と、数々の企業で人事労務のコンサルティングを行う株式会社TECO Design 代表取締役 杉野愼氏との特別対談を企画。対談中、柳川氏は「テクノロジーに任せるところと、人が行うべきところの切り分けが必要」など、実践的なアドバイスを送るなどした。以下に対談の内容をレポートする。
生成AIなどテクノロジーの活用はこれから本格化する
杉野氏:ChatGPTをはじめ、生成AIが話題になっています。業務の効率化や質的向上をもたらすと期待を寄せているケースも少なくありません。現状、生成AIは仕事でどのように使用され、どのような変化をもたらしているでしょうか。柳川教授の所感をお聞かせいただければと思います。
柳川氏:AIの発達は目覚ましく、世の中に大きなインパクトを与えています。最近では、技術革新に合わせて世の中のルールや法律をどう変えれば経済に好影響を与えるのかが、研究テーマの一つです。しかしながら、生成AIの影響は今のところ限定的で、業務が本格的に変わっていくのはこれからだと捉えています。現在の生成AIの使われ方を見ると、多くは定型的な文章の作成などで用いられているようです。
効率化は進んでいますが、完全な自動化は難しく、人の手を加えなければいけない点が大きく2つあります。1つはカスタマイズ。例えば、顧客にメールを送る時は、一言二言その顧客に合った言葉を付け加えることが一般的です。もう1つはチェック機能。今の生成AIは明らかな間違いを書くことも多く、また、著作権やプライバシーの問題にも配慮しなければなりません。お伝えしたことは一般的なことですが、人事業務の領域にも当てはまるのではないでしょうか。
杉野氏:ご指摘の通りです。実際の業務で生成AIを使う場面は増えましたが、生成された文章をそのまま使用することは難しいのが現状です。特に人事領域はその人に合った文章を付け加える、またはカスタマイズすることは必須と言えます。他には、私の場合、求人票の作成に活用しています。生成AIに適切な指示を出すと、人材要件を概ね過不足なく記述します。自分の理解ではあまり考えていなかったスキルや経験も記述され、確かにそれも必要だと納得することが多いです。
さらに、自社の事業領域を伝えると、それに合わせた人材要件を作成するので、あまり詳しくない職域の人材を採用する時はとても役に立っています。また、模擬面接でも生成AIを使っています。AIに対しあなたはこんな人物と設定すると、さまざまな受け答えが返ってきます。このため、想定漏れが防げるようになりました。
柳川氏:生成AIは、人の代替の側面と、これまで出来なかったことを出来るようにした側面がありますね。求人票や面接の話は、後者です。もしかしたらコストと時間を無視すればできていたかもしれませんが、ほとんど不可能だったでしょう。
テクノロジーが行う部分と、人が行う部分の切り分けが求められる
杉野氏:シミュレーションの実験コストが下がったという肌感覚は持っています。生成AIは壁打ち相手にとても有効です。当社のクライアントからも、生成AIに仕事を全部肩代わりしてほしいという要望よりも、ミスのチェックや目的を達成する補助としての役割を担ってほしいという要望が増えたと感じています。こうした状況を鑑みると、改めて生成AIをはじめ、テクノロジーが人事業務に与える影響は大きいと考えられます。
柳川氏:人事が変わることは間違いないですし、変革も起こるでしょう。ただ、実は人事を変えるのは技術の問題ではありません。人事業務の本質は人の評価で、個別性が高い特徴があります。人となりを無視して、評価、異動、担当業務の決定は難しい。人事部門は膨大なデータを抱えている反面、なかなか活用が進んでいないと言われています。
それもそのはずで、データを基に客観化・数値化して評価すれば良いというものではないと多くの人が考えており、実際にその通りだからです。個別性が高い、つまり、客観化・数値化できないところに評価のポイントがあります。
杉野氏:とても納得のできる話です。
柳川氏:評価軸そのものは会社が決めるしかありません。デジタル化・客観化・数値化して処理する部分と、人が行う部分の切り分けが重要。それができれば、人事のテクノロジー活用が進み、業務にも変化が見られるはずです。AIで業務を完全自動化できると考えるのはやや乱暴ですが、すべてを人の手で行っていたのでは労力がかかりますし、曖昧で抽象的な部分が多分に残ってしまいます。
杉野氏:AIを活用することで、これまで曖昧でブラックボックスだったところが明るみに出てくることも予想されます。例えば、面接で何となく「顔つきが良いから」と採用していたとして、何をもって「顔つきが良い」と判断したかなどです。何となくの判断で採用した人材が活躍するケースも往々にしてあるので、分析する価値はあるはずです。
柳川氏:無意識の判断を含め、データを見ることで一定の傾向は明らかになります。偏りがあったとして、それを良い意味の発見と捉えるとか、是正すべきかは、別の判断基準が必要です。つまり、一定の基準で採用した人材が、10年後20年後どのような成果を残したかデータを取らなければなりません。
人事は将来の可能性について評価しています。統計解析はAIを使わなくてもできますが、AIを使えば精度は上がります。ただし、精度が上がっても、AIが出した未来予測通りになるかは誰にもわかりません。どういう未来を描き選択するかは、人事であり経営の判断です。その意味で、人事には決断する力が求められるでしょう。
これからの人事は「人に寄り添う」ことが重要
杉野氏:世の中に対応する、変化についていくのが人事の側面の一つだと捉えています。世の中の変化を察知し、どうすれば組織や会社が良くなるかを常に考えて行動する。それができないと、AIの言うことのほうが信頼できる、相談するなら人事よりAIを選ぶ、となる時代はすぐそこまで来ていると感じています。このような背景がある中で、人事はどのような役割を果たしていけば良いでしょうか。柳川先生のご意見を伺えればと思います。
柳川氏:先ほどまでは部分的な話題が中心でした。もう少し広い視野で人事の役割を考えてみましょう。すると、人事は人材の流動性が高まる中で「人的資本」と向き合う必要があると理解できます。人事は人材が別の環境に行く可能性を考慮し、むしろ別の環境に行っても活躍できるような能力を引き出すことが求められます。人材は会社のものではありません。働く一人ひとりを主語にすることが重要です。やや逆説的ですが、AIなどテクノロジーが発展すればするほど、個人に寄り添うスタンスが求められるようになると考えられます。
杉野氏:柳川先生が指摘していたテクノロジーと人の切り分けに通じる話だと思います。テクノロジーで出来るところはテクノロジーに任せ、その分、空いた時間は人を見ることに当てる。そうしたことが、これからますます求められるようになるのだと思います。細かな点ですが、例えば、同じ評価を伝えるにしても、メールで一律的に伝えるのと、状況に応じて人事が背景を説明するのとでは受け止め方が異なります。今まで時間が追われて細かな対応ができていませんでしたが、これからは出来るようになります。
AIの活用で、きめ細かな個別対応が可能に
柳川氏:将来はどうなるかわかりませんが、無機質な機械に言われるよりも人に言われるほうを好む、という感情は残るのではないでしょうか。個人的な意見ですが、テクノロジーが出てきた時はテクノロジーがフォーカスされ、テクノロジーが一般化すると、今度は人が行うちょっとした行為に付加価値が生じます。人事の領域もそうした段階に来ているのかもしれません。
杉野氏:共感できます。AIの出現で個別対応がよりきめ細かにできるようになった側面もあります。例えば、従来は一定数に対して一斉に行っていた研修を、スピードや内容を含め、その人に合った学びをAIで提供できるようになりました。必要に応じて人事がサポートすることもできます。この結果、見えないところでロスしていた人材の力を引き上げ、会社に活力と成長をもたらすことができるのではないでしょうか。人に優しいと言いますか、そうしたAIの使い方も広まれば良いと思っています。
柳川氏:これからの人事は心理カウンセラーの要素も求められるようになるでしょう。これまでは人をポイントや数字として見ざるを得ない側面があったと考えられますが、寄り添う時間が持てるようになりました。さらに人事の役割を提示するなら、これに加え、従来から言われているように戦略性を持つことが必要不可欠です。経営戦略と一体となった採用や育成、配置などの人事戦略が求められます。その人事戦略を打ち立てる時には、データやAIは相当に役に立つはずです。
ルールが多岐にわたる煩雑な人事業務は、AIが得意とするところ
杉野氏:人事がより本質的な仕事を行うためにも、AIやテクノロジーの活用はますます重要になると考えられます。特に手間のかかる業務は、生成AIでかなり時間を短縮できるようになりました。例えば、「マネーフォワード クラウド給与」のカスタム計算式では、給与の計算式を自由記述すると生成される仕組みです。計算式を立てるのは非常に複雑なのですが、AIを用いることで業務が短縮されます。今後、こうしたプロダクトが多く出されることが予想されており、将来的には自動化できる分野も出てくるはずです。
柳川氏:複雑で選択肢の多い作業を人間は苦手としていますが、AIは得意です。ルールが明確であれば、選択肢が千あろうと二千あろうと答えを出せます。人事、特に労務分野はそうした業務が多くありますので、自動化しやすいのではないでしょうか。言い換えると、これまでは曖昧で裁量による部分を多く残し過ぎていたのかもしれません。人事部門に限った話ではないですが、ルール化できるところはルール化する。その上で、あえて人ならではの揺らぎを残す。その峻別が大事です。
杉野氏:おっしゃる通りです。組織・会社は変化するものですので運営上、人による揺らぎが残っているほうが楽ということはどうしてもあります。そこが悩ましいところですが、ルール化できるところはルール化する決断力が人事には求められます。
柳川氏:私自身、曖昧で揺らぎのあるルールを持っており、処理を人に任せられないということがあります。例えば、本の整理はルールが曖昧で、秘書に任せられず、自分でやるしかありません。
人だからこそ出来る人事業務は、いつの時代も必要とされる
杉野氏:私も同じようなことは多々あります。ところで、話は少し変わりますが、生成AIによる自動化の話をしていると、自分たちの仕事がなくなると不安に感じる人が一定数います。この点、柳川先生はどうお考えでしょうか。
柳川氏:今のところAIがどこまでのことができるかは不明ですが、少なくとも定型化された業務については、どれだけ人が突き詰めても、スピードも正確性もAIのほうが勝っています。一方で、きめ細かな人への対応、あるいはアイデア出しについては当面、人のほうが得意だと考えられます。どんな業務も人が介在する余地はあります。定型化された業務はAIが行うようになっても、人ならではの部分で自分の仕事を広げていけば良いわけです。その意味で、仕事がなくなる・なくならないという話は、あまり意味がないかもしれません。
杉野氏:クリエイティブな発想をすれば、機械にとって代わられるように見える分野でも、一人勝ちできる可能性は十分にあります。人事も同じですね。
柳川氏:その通りだと思います。人事は、人に寄り添ったり戦略的な立案をしたりする本来のクリエイティブな業務を行うことが、これからますます求められます。そのために、AIなどテクノロジーを上手に使うことが重要です。
杉野氏:柳川先生の話を聞いていると、人と向き合う人事の仕事は、これをしていれば良いという正解がなく、そこに難しさも価値もあるのだと改めて理解できました。今、人事はかつてないほど注目されています。迷いながら取り組んでいくことも多いと思いますが、それでも人事の未来は明るいと確信しました。
柳川教授、本日はありがとうございました。
Profile
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広島大学大学院を卒業後、医療系ITベンチャー企業を経て社会保険労務士事務所に入社。給与計算業務や顧問先担当企業のIPO、M&Aを経験した後、グループ内でコンサルティング会社を設立し、顧客のバックオフィスへのITソリューション導入を支援する。2019年にTECO Designを設立。勤怠/給与関連のクラウドサービスの導入サポートを主事業として行っている。
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1988年慶應義塾大学経済学部通信教育課程卒業。1993年3月、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。同4月より慶應義塾大学経済学部専任講師。1996年東京大学大学院経済学研究科助教授。2011年12月より同教授。主な著書に『法と企業行動の経済分析』(第50回日経・経済図書文化賞受賞、日本経済新聞社)、『東大教授が教える独学勉強法』、『東大教授が教える知的に考える練習』などがある。