こんにちは、「受講者との対話を重視する研修講師」の宇田川 摂です!
自宅待機なので、過去最高の頻度で更新しております(苦笑)。
今回は「機会の平等」と「結果の平等」です(この記事は2020年4月21日時点の内容です。コロナ関係の情報は日々新しくなりますので、必ず最新の情報を参考にして行動頂くようお願いいたします)。
国からの給付金の是非について、いろいろな意見がネットで飛び交っております。
そんな日本国内の労働状況をMECE(モレなくダブりなく)分解するとこんな感じでしょうか。
1)平時よりも労働の量が増えている
2)平時と労働の量が変わらない
3)平時より労働の量が減っている、もしくは無くなった
こんな状況で給付金についてネットではこんな書き込みも見られます。
「1)、2)の人は給付金いらないだろ」だったり「いや、彼らこそ今の日本を支えているんだから給付すべき」とか。また「給付金は努力賞じゃないんだから3)を最優先にしろ」に対して「1)、2)だってコロナ感染のリスクの中で働いてるんだぞ」とか「元々の給与が安いんだからもらえるものはもらうべきだ」などなど。
私にはなんとも判断つかない難しい状況なのですが、こんな時に考えたいのは「機会の平等」と「結果の平等」です。
「機会の平等」〜ある程度の例外はありますが〜を説明するとこんな感じです。
『義務教育など(ある程度)平等に与えられた機会で習得した能力を使って、(ある程度)自分の意思で仕事を選び対価を得ているが、対価に幅があるのは与えられた機会における努力・能力の差だからしょうがないよね』
一方、「結果の平等」〜こちらもある程度の例外はありますが〜はこんな感じ。
『ひとりでは出せない成果を出すためにコミュニティを作って役割分担をしているのだから、個々の役割の仕事内容に差があるのはしょうがないけど、成果(=対価)は全員で平等に分けようね』
平時においては「機会の平等」と「結果の平等」の双方を高い次元でバランスを取るのが政(まつりごと)ですが、有事においてはそのバランスをどちらにどれくらい傾けるかを明確にする必要があり、これを明確にしない限り、議論はいつまでたっても平行線のままです。今回の禍(わざわい)において、リーダーはどちらの思考で動くことが求められるのかを考える日々が続きます。
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