人間は古来、営々と労働してきました。「労働」というものをどうとらえるか。これは人により、国により、時代によりさまざまです。労働は当初、生命維持のためにやらねばならない苦役という否定的な見方が主流でした。時代が進むにつれ、骨折りとしての労働は次第に多様なとらえ方をされはじめます。
古代ギリシャのポリス(都市国家)では、食物を作る農耕作業はじめ労働は奴隷が行います。その労働は自然に支配され、身体を酷使し、人間の生理的な欲求を満たすだけの目的であることから軽蔑されました。
また、奴隷とともに、生活用具を作る職人やそれを売買する商人も否定的なまなざしで見られました。
キリスト教において労働はまず、聖書の一節「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に帰るときまで」(「創世記」第3章)がベースにあります。神に背いて木の実を食べてしまったアダム。そのとき以来、人間には罰として労働が課せられたのでした。
しかし、罰という否定的な烙印を押された労働も、一方では人間の怠惰を防ぐ営みとして肯定的にとらえられる部分もありました。それは使徒パウロの新約聖書の言葉「働きたくない者は、食べてはならない」に表れています。
そしてアウグスティヌス(354-430年)やベネディクト(480-550年ころ)の時代になると、労働は修道制度の中に組み込まれていきます。そして中世の時代、労働は祈りや冥想とともに重要な行いのひとつになったのでした。
16世紀、ルターの宗教改革によって、教会や司祭は否定され、個々の信徒は神と直接向き合うようになりました。信徒たちは魂の救済の確証を仕事に求めます。
与えられた仕事にできるかぎり励むことを宗教的使命ととらえていく流れができてきます。これが「vocation」(召命:しょうめい)、「calling」(天職)という概念の起こりです。どちらも「(神の)呼ぶ声」という意味合いです。
さらには、禁欲と勤勉な労働によってもたらされる富の増大をも積極的に肯定する考え方がプロテスタント(特にカルヴァン派)の中から盛り上がりをみせます。ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーが、資本主義の精神の萌芽がこのあたりにあると考察したことは有名です。かつては祈りのもとに労働があったものが、その重心は次第に入れ替わり、「働け・成功せよ、かつ祈れ」となっていく時代です。
フランス革命(1789年)をはじめとする市民革命により、人びとは政治的平等や経済的自由を手にします。そこでは職業倫理が宗教から切り離され、労働の意義づけが一気に世俗化していきます。
個々の人間にとって、もはや仕事・事業は成功者になるための手段としておおいに称揚されるものとなります。特に希望の新大陸アメリカでは、「アメリカン・ドリーム」という立身出世の概念が人びとを経済的成功へと駆り立てました。
また、産業革命による大量生産技術と勃興する資本主義とが結びついて、一方に少数の資本家、他方に多数の賃金労働者が生まれたのも近代の特徴です。封建制度から解放された市民の多くは企業に雇われ、工場で働くことで生活を維持する存在になりました。
資本家から搾取され、機械のリズムに合わせて単調に反復する労働は、人間の疎外化をまねいているのではないか。労働に対する、新しい否定的な見方が社会全体に広がってくるのでした。
そんなころ、労働価値説を唱えたのがアダム・スミス(1723-1790年)です。スミスは国家の富の源泉は、貿易によって得た金銀などの財貨ではなく、国民の労働であると考えました。「労働を尺度にした価格こそが真の価格であり、通貨を尺度にした価格は名目上の価格にすぎない」(『国富論』)。
こうした労働価値説に大きく影響を受けたのが、カール・マルクス(1818-1883年)です。彼は、疎外化された労働や資本主義を超克した先に共産主義社会が現われるという一大理論を書き上げることになります。
またこの時代、手工業職人らの間では、ものづくりを一つの道として、製造物を作品として高めようとする精神が次第に醸成されていきます。
産業革命によって安価で粗悪な日用品が大量に製造される中、イギリスの工芸家ウィリアム・モリス(1834-1896年)は、芸術と工芸を融合させる「アーツ・アンド・クラフツ運動」を主導しました。
モリスは『ユートピアだより』の中で「仕事そのものの中に自覚された感覚的な喜びがあるからです。つまり、芸術家として仕事をしているのですね」と書いています。職人の仕事はもはや苦役的な〈labor:労働〉などではなく、自負を伴った〈work:作品づくり〉であることを主張しています。
第二次世界大戦後の先進諸国において、労働者の多くは、企業や官庁など組織に雇われるサラリーパーソンになっていきます。
彼らの就労意識は、「悪くない給料とまずまずの年金、そして自分と限りなくよく似た人達の住む快適な地域社会に、そこそこの家を与えてくれる仕事に就こうとする」(ウィリアム・H. ホワイト『組織の中の人間-オーガニゼーション・マン』1956年)ものとなります。
「生業としてのサラリーパーソン」をまっとうするために必要なことは、組織から言い渡される大小の無理難題を忍耐強くこなし、担当業務に勤勉であること。戦後の日本もこの会社員の勤勉さによって支えられてきました。
ところが今日では、仕事が自己実現や社会貢献の機会であってほしいと願う人たちが増えています。それは忠誠心の向け先が組織から、仕事そのものへ変わってきたともいえます。こうした流れにあって組織は、従業員に対し、いかにやりがいのある仕事や有意義な仕事動機を与えられるかが重要な課題となってきています。
とはいえ、組織側が働き手を酷使する流れも依然としてあります。不当な低賃金、悪質な労働環境で従業員を働かせるいわゆる「ブラック企業」の存在は、いまも頻繁にメディアで報じられています。現代版『蟹工船』物語と言っていいかもしれません。また、企業に勤める従業員が、みずからを「社畜」と呼ぶこともあります。組織の都合のいいように飼い慣らされた自分を自嘲的に揶揄する言葉です。その意味では、古代から延々と続く苦役としての労働の姿がいまだそこにあります。
これから先、人びとの労働観はどう変わっていくでしょうか。社会生活を支える3K(汚い・きつい・危険)的な労働が世の中からなくならないとすれば、低賃金で働かされる「苦役としての労働」もなくならないのでしょうか。
もし、ある国がベーシックインカム制度を導入して、全国民に最低限度の収入保障を与えるようにすれば、人びとはいわゆる「食うための仕事」から解放され、自己実現や社会貢献につながる仕事に勤しむようになるでしょうか。あるいは、いっそ働くこと自体をやめてしまうでしょうか。
ちなみにこの問いに対し、マルクスは共産主義による理想国家が実現した暁には、人びとはもはや一つの分業に縛られない状態を想像しました。つまり、朝には狩りをして、昼過ぎには魚を獲り、夕方には家畜を飼い、食後には批評をする生活の可能性です。「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という社会がそこにはあります。
ところがイギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは少し違った想像をしたようです。彼は1930年に書いた「孫の世代の経済的可能性」の中で、これから100年後には食うために働くという経済的な問題は解決され、人類は初めて、その自由になった状態をいかに使うかという問題に向き合うだろうと予測しています。
そしてこう書いています───「経済的な必要から自由になったとき、豊かさを楽しむことができるのは、生活を楽しむ術を維持し洗練させて、完璧に近づけていく人、そして、生活の手段にすぎないものに自分を売りわたさない人だろう」。
しかしこういった人は世の中にごくわずかであり、大多数は目的を喪失し、暇を持て余してノイローゼになってしまうと想像しています。
そのためケインズは、皆で仕事を分け合って、1日3時間、週15時間働くようにすれば、問題の解決をとりあえず先延ばしできるとも書いています。現在で言うワークシェアリングの発想です。
さて今後、社会の高齢化が進み、リタイヤする人たちが増えていきます。年金で十分に生活ができる彼らの中でも、まだ働き続けたいと思う人が多く出てくるでしょう。それは誰しもなんらかの形で社会に帰属し、世の中と交流したいと欲するからです。ボランティア活動含め「社会参加としての仕事」は今後ますます広がってくると思われます。
また、「趣味としての仕事」「ゲームとしての仕事」がまったく普通の労働観になるかもしれません。
いまや動画サイトに趣味的な映像を制作公開して金を稼ぎ出す人、趣味的な物品を買い付けて通信販売する人、1日中パソコン画面上の取引数値を見つめ、ゲーム感覚で株や外貨をトレードする人……そんな活動で人生を送っている人たちが増えています。手軽で安価なテクノロジーが普及することにより、今後はだれもが遊びを職業化できるチャンスを持てるようになりました。会社員が副業/複業として、遊び感覚の仕事を持つケースも増えてくるでしょう。
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■本記事を含む働くことの基礎概念を学ぶ本ができました。
村山昇著『働き方の哲学』