マーサー ジャパン株式会社 組織・人事変革コンサルティング アソシエイトコンサルタント 亀長 尚尋
大学入学と同時に上京し、一人暮らしを始めた筆者は、社会人になるまで様々なアルバイトを経験したが、中でも大きな収入源は、大学受験向けの家庭教師のアルバイトだった。
ある時、かつての教え子から、どうしても医学部に行きたいと言っているが、勉強はあまりしてこなかった不良の男の子を紹介され、個別契約で受験指導をしてくれないかという依頼を受けた。
当時の筆者に足らなかったものが何であったか、いくつかの企業の取り組みにそのヒントがある。
ある大企業では、CSR活動の一環で、これまで身に付けたスキルや経験を社会のために役立てたい方のためのカリキュラムを企画し、NPOとの人材のマッチングを図る取り組みを行っている。
この取り組みに参画した応募者は、まず最初に「自分史」を書き、スキルの棚卸しを行ったうえで、NPOプログラムを実体験し、自らの社会貢献のあり方を定めていく。
就職活動の自己分析さながら、「幼少期は○○な性格で、学生時代は××に興味があって、最初の会社には、明確な動機なく入社したが、2つ目の異動先で出会った上司に触発されて‥」というような自分自身の物語を紡いで、それを他の参加者と共有する。その場では、参加者が感情を表に出し、赤裸々に語る。そういうプロセスを経て、そういう物語を共有した参加者同士が組織を立ち上げ、新たな取り組みが生まれている。
また、他のいくつかの企業では、MBO(目標管理制度)の発展形として、MBB(Management By Belief)という概念を導入し、目標の背景にある「思い」を組織の中で、上司・部下・同僚の間で共有する仕組みを、評価制度とリンクさせている。通常の目標管理で行う組織目標のブレイクダウンによる個人目標の設定に加えて、目標の背景について対話を行うことで、「なぜこの目標を達成することが重要なのか」という「しみじみ感」が醸成されれば、結果として、従業員のやる気の向上につながる。
これらの企業の取り組みから、筆者は何を学ぶべきだろうか。
生徒を突き動かしているものが何であるのか探るチャンスはいくらでもあった。
今思い返せば、彼が、帰り道の電車の中で、「医者になりたいと漠然と思っているが、どこまで本気なのかは自分でもよくわからない」と言っていたことがあった。
彼がこれまでの人生でどんな道を歩んできたのか。なぜ改心して、突然医学部に行きたいと思うようになったのか。どんな時に頑張ることができて、どんな場面ではやる気が失せるのか。あの時、彼を根本で動かしていることに少しでも耳を傾けていれば、結果は違っていたかもしれない。
指導の合間の何気ない会話が何よりも重要だったのだ。彼はいつの間にか「なぜ医学部に行かなければならないのか」を見失ってしまった。最後の指導の帰り際の彼のどこか寂しげな表情が、筆者の脳に残像としてこびりついている。
外資系コンサルティングファームを経て現職。組織・人事領域を中心としたコンサルティングサービスを国内外の企業に対し実施。グループ人材マネジメント構築、人事制度設計、役員報酬制度改革・導入支援、役員選抜アセスメント、PMI支援、組織戦略策定、人事デューデリジェンス等の領域におけるコンサルティングに従事。東京大学工学部卒、同大学大学院工学系研究科修了。