マーサー ジャパン株式会社 組織・人事変革コンサルティング 大路 和亮
以前、飲食店を経営していたことがある。店の中央に配した本棚でお客様が自分の好きな本を自由にシェアできる仕組みを設け、「みんなの本棚と出会うバー」というコンセプトで経営していた。自分と友人がやってみたかったことを形にした、席数10程度のカジュアルな店だった。
その店で新しくメインバーテンダーを雇うことになった。WEBで公募し、何人かの応募者とお会いした結果、一人の方をメインバーテンダーとして迎え入れることになった。本が大好きで、店のコンセプトをとても気に入ってくれたというその男性は、大型のカフェバーでフロアマネジャーとメインバーテンダーを10年務めたキャリアの持ち主だった。
小さな飲食店でのオペレーションも、カウンター越の接客もあまり経験がないということは面接時に聞いていた。だが、どうせお願いするのであれば、中途半端にこちらから口を出しても上手くいかないのではないか。そう考えて、コンセプトを守ること以外は、基本的にすべてを好きなようにしていいと話をした。
要するに、その人の接客は大箱のオペレーションを前提に、完成されすぎていたのだと思う。席数の違い、お客さんの違い、心地よい雰囲気の違い、それらの違いをうまく消化して馴染んでいくことに、思いの他戸惑っている印象を受けた。
一度好きにしていいと言った手前、相手に注文をつけることには勇気が必要だった。それでも、自分が違和感を抱くサービスをお客様に提供することにも納得がいかなかった。そう思い、ある日あまり直截的にならないように自分の考えを伝えた。
そのときの相手の反応は、とても印象的だった。
「自分の接客に問題があるとは、正直、思ったことがなかった」
話を聞いてみると、その人は以前の店舗と今回の店舗でのサービスに”それほど違いを設ける必要はない”と思っていたという。自分としては、”大きな違い”が、相手にとっては”小さな変化”でしかなかったのだ。
相手にとって”当たり前”のことが、こちらにとっては想像力の外にある。自分が想像できる範囲のことは対応できるが、自分がそもそも想像しきれていないことには対応のしようがない。そんな風に考えたことを覚えている。
C.クリステンセンは、「イノベーションのジレンマ」の中で、既存マーケットの魅力と主要顧客のニーズを念頭において合理的な投資判断を繰り返す優良企業は、市場に登場したばかりの魅力に乏しい破壊的技術への投資を”合理的に”選択しにくいと指摘する。それと同じことで、現在成功している事業の次期成長戦略・計画はこれまでの勝ちパターンを踏襲していることが合理的であり、そこに投下される人材リソースは、これまでの事業を推進してきた人材と同質のものがいいという結論にどうしてもなりやすくなってしまうのではないか(とくに事業が好調に拡大している企業ほどそうだろう)。
ダイバシティマネジメントを推し進める意義の一つに、多様な価値観を事業に取り入れることで、事業機会の発見力や、経営リスク感知力が高まるということが指摘される。では、発見される事業機会や担保されるリスクが具体的に何かとなると、たちまち回答が難しくなる。なぜなら、今の企業の想像力の限界を取り払うことを期待してダイバシティマネジメントを推し進める以上、その先にある果実(成果)を現時点で具体的に想像することにはやはり一定の限界があるからだ(それが具体的に想像できて、どういうスペックの人材が必要かということまで話が進んでいれば、それは通常の事業計画の中に既に盛り込まれ、実行されている可能性が高い)。
ダイバシティマネジメントの総論に反対する声は今や少数派だろう。しかし、それが各論に落ち、具体的なHowの議論になると、既存の枠組み・プロセス・ルールの中で進めることがとたんに難しくなる印象を受ける。その一因に、”想像力の限界”に対しては、そもそも想像力が及びにくいというジレンマを打破していくことの難しさが一因としてあるのではないか、というのが私見である。
少子高齢化を迎える日本社会において、日本企業がダイバシティマネジメントを推し進める必要があることは間違いないだろう。一企業の問題としてだけではなく、社会全体がこのテーマにどのように取り組んでいくのか、非常に関心が高い。
※本記事は2013年11月時点の記事の再掲載となります