◆カッツが唱えた「コンセプチュアル・スキル」
管理者に必要なスキルについて日本でもよく知られているものに、『カッツ・モデル』があります。ロバート・L・カッツは『ハーバード・ビジネス・レビュー』(1974年9月号)に寄稿した「Skills of an Effective Administrator」のなかで、管理者に求められるスキルとして、次の3つをあげました。
・「テクニカル・スキル」 (方法やプロセスを知り、道具を使いこなす技能)
・「ヒューマン・スキル」 (人間を扱う技能)
・「コンセプチュアル・スキル」 (事業を全体的に把握する技能)
さらに、管理者を下級(ローワー)・中級(ミドル)・上級(トップ)の3階層に分け、上にいくほどコンセプチュアル・スキルの重要性が高まると指摘しました。
ただ、この論文でカッツはコンセプチュアル・スキルがどういったものかについては細かく述べていません。おおむね、事業全体を俯瞰し各部門の関係性や構造を把握する力、ある施策がその後どのような影響を各所に与えるかを推測する力、共通の目的を描き関連部署の意識をそこに集中させる力といったような記述をしています。
そのようなカッツの先駆的な言及を受け、このシリーズ記事では「コンセプチュアル思考」についての概要やトレーニング方法を考察しています。
◆抽象によってとらえた内容―――それが「コンセプト」
concept という英単語は、強調の接頭語「con-」に語根「cept」が付いた形です。cept は語根「ceive=つかむ・受け取る」の名詞形です。したがって、concept は「しっかりとつかんだもの・内容」がおおもとのニュアンスです。広告業や企画職の世界でよく「この新製品のコンセプトは……」などといいます。これは構想や意図といった意味に先鋭化されていますが、やはり根っこには「つかむ」の意味を含んでいます。
同じ語根を持つ単語にpercept がありますが、これは「(感覚器官による)知覚」です。concept はこの知覚したことを、さらにそれが何であるかという理解や解釈、構成にまで進めるはたらきです。一般的には「概念」という訳語が与えられています。ちなみに、このconcept には「受胎」という意味もあります。たしかに、語根が「つかむ・受け取る」ですからうなずけます。また、ドイツ語でも「概念」にあたる語は「begriff」であり、これも「つかむ」の意味です。
いずれにせよ、私たちは出くわす物事が何であるかをとらえようとします。そして概念によって自分の中の理性秩序を組み立てていきます。この認知活動の中軸を担うのがコンセプチュアル思考です。
◆コンセプチュアル思考は「起こす」思考
例えばリーダー・マネジャー向けの『コンセプチュアル思考研修』でやっている思考演習は次のようなものです。
こうした演習に向かう思考は、「わかる」を目指すものではありません。「わかる」とは「分かる/解る」と書くように、物事を分解していって何か真理に当たることです。これはロジカル思考が担当する分野です。これに対し、コンセプチュアル思考は「起こす」思考です。
正解値のない問いに、
「概念を起こす」。
「意志・意味を起こす」。
「観(=ものごとの見方・とらえ方)を起こす」。
「起こす」という作業ほど個人の差が出るものはありません。例えば、研修でやっているワークを一つ紹介しましょう。
◆物事を定義することで「観」があぶり出される
〈ワーク〉
「事業」を下の形式で自分の言葉で定義せよ。
───事業とは「〇〇〇」である。
簡単なワークに見えますが、実際やってみると難しい、というか奥の深い問いであることに気がつきます。
例えば、一般的定義の代表として『広辞苑〈第六版〉』の表記はこうです。
〇事業とは「一定の目的と計画とに基づいて経営する経済的活動」である
なるほど、とても客観的な説明となっています。ちなみに、経営学者として著名なピーター・ドラッカーは───
「事業とは、市場において知識という資源を経済価値に転換するプロセスである」 (『創造する経営者』より)
と定義しました。彼独自の言い回しによる鋭い説明になっています。では私がひごろ行っている研修・ワークショップで、受講者から出てくる回答例をいくつかあげてみましょう。
〇事業とは「モノ・サービスを通じての利益獲得活動」である
〇事業とは「顧客を獲得しつづける活動」である
〇事業とは「顧客満足の創出」である
〇事業とは「生業や稼業よりは公的で規模の大きい営利活動」
〇事業とは「ヒト・モノ・カネを組み合わせて行う価値創造」である
〇事業とは「それにかかわる人びとが可能性を開くチャンスの場」である
〇事業とは「自分一人ではかなわない夢を組織で成就する仕組み」である
〇事業とは「広く雇用を生み出し、世のカネを循環させる社会的活動」である
出てきた定義のうち、どれが正解かを問うことはコンセプチュアル思考においては的外れです。コンセプトは人それぞれのものであり、そこに唯一絶対の正しいものはないからです。
その定義がどれほどのものだったかは、他人が評価するものではなく、受講者どうしの答えのシェアリングで、「あぁ、自分のとらえ方は浅かったな」「偏った見方かな」というように、自分が気づくものです。あえて「よい定義」に言及するとすれば、それは行動と成果を重んじるビジネスの現場においては、「ずどんと腹落ちして、行動するエネルギーが湧いてくる」定義がよい定義です。
ちなみに、日本が生んだ名経営者である松下幸之助や本田宗一郎は、事業に対しどんな定義を持っていたのでしょう。
松下は『実践経営哲学』(PHP研究所)のなかで、
「“事業は人なり”と言われるが、これはまったくそのとおりである。(中略) 私はまだ会社が小さいころ、従業員の人に、「お得意先に行って、『君のところは何をつくっているのか』と尋ねられたら、『松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのです』と答えなさい」ということをよく言ったものである」。
また、本田は1960(昭和35年)に本田技術研究所を分社独立させたとき、創立式典で次のように語ったという。
「私は研究所におります。研究所で何を研究しているか。私の課題は技術じゃないですよ。どういうものが“人に好かれるか”という研究をしています」
(ホンダ広報誌『Honda Magazine』2010年夏号より)。
こうした問いは、一人一人の事業「観」を問うものです。そして言語化によって、意志を表明するものです。さすがに松下や本田の定義は、独自の深い観がにじみ出ていて、熱量が感じられます。さて、あなたの組織のリーダー・マネジャーは、みずからの事業をどう定義できるでしょうか?
◆リーダーシップを十二分に発揮するために基盤思考力を鍛えよ
世の中にリーダーシップ研修や管理職研修はさまざまな内容のものが提供されています。しかし、そもそも管理層の人たちが養うべき基盤的な思考技術にフォーカスしたものは少ないようです。もちろんロジカル思考はその一つですが、それのみで十分とは言えません。
さきほども指摘したように、管理層が直面する問題は「わかる」ことを目指すものより、「起こす」ことが求められるもののほうが多いからです。ビジネスは分析で割り切れるサイエンスの側面だけでなく、アートの側面、フィロソフィーの側面があります。アートやフィロソフィーは、意志や意味、価値、観といった次元からの答えを要求してきます。カッツが管理者にとって最も重要な能力がコンセプチュアル・スキルであると言ったのもここに理由があります。リーダーシップを十二分に発揮するための基盤思考力、それが「コンセプチュアル思考」です。
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【シリーズ】コンセプチュアル思考
〈第1回〉~新・思考リテラシーへの誘い
〈第2回〉~「コンセプチュアル思考」とは何か
〈第3回〉~「成長」欠乏不安症の若手に必要なのは成長「観」の醸成
〈第4回〉~「具体的に指示されなければ行動できない社員」の育成処方箋
〈第5回〉~リーダー・マネジャーに必要なコンセプチュアルスキル
〇キャリアポートレートコンサルティングの『コンセプチュアル思考』研修 の
詳細については次の資料をご覧ください →PDF資料
〇『コンセプチュアル思考の教室』ウェブサイト開設 (ワークショップも開催中)
http://www.conceptualthink.com/