人生・キャリアを航海に喩えるとするなら、 あなたの船はどんな「船」だろうか?
(非力なゴムボートだろうか、それとも強力なエンジン付きの鋼鉄船だろうか)
ぶれない「コンパス(羅針盤)」を持っているだろうか?
地図を持ち、そこには「目的地」が描かれているだろうか?
◆3つの自~働く意識の成長フェーズ
「自立」と「自律」については、前記事「自立と自律の違いを考える」で詳しく触れた。私はその2つに「自導」を加え、働く意識の3つの成長フェーズとしている。では、それらを概括してみてみよう。
〈1〉「自立」フェーズ
まず、自らを職業人として「立たせる」段階。知識や技能、人脈を得、独り立ちして業務が処理できるようになる。そして自分の稼ぎで生計を立てられるようになるというのがこのフェーズである。 このときに養うのはともかく働く主体となるべき基本的能力である。自分が何の能力を身につけたか/身につけていないか(have/not have)が中心課題となる。このフェーズの基本動詞は、能力を「持つ」、生活を「保つ」である。反意語は「依存」。
〈2〉「自律」フェーズ
次は、自分なりの律を持って、自分を「方向づけ」できる段階。律とは、倫理・道徳観、信条・哲学、美学・型(スタイル)のようなもので、それをしっかり醸成することで、仕事に独自の判断や個性を与えられるようになる。 養うべきは、どんな状況に置かれても、沈着冷静に正気を失わず、物事の善い/悪い(right /wrong)を判別して選択する主観である。基本動詞は、「決める」「動く」。反意語は「他律」。
〈3〉「自導」フェーズ
最後は、目的を設定し、その成就に向けて自らを「導く」ことのできる段階である。なお、目的とは「成すべき状態や理想像+それを目指す意味」のことで、端的には想いとか夢・志、使命、ライフワークなど、中長期の職業人生にわたる「大いなる目的」をいう。このフェーズの特徴は、大いなる目的を覚知したもう1人の自分がいて、それが現実の自分を導くという構図である。 必要なのは、「大いなる目的」に向かう「勇気」であり「覚悟」。このフェーズで関心となるのは、それは意味があるか/ないか(meaningful/meaningless)。基本動詞は、「描く」「リスクを負って踏み出す」「拓く」。反意語は「漂流・停滞」となる。
なお、自律と自導はどちらも方向性に関するもので、その点では共通するところがあり、相互に影響しあってもいる。自律はどちらかというと、直面している状況に対し、自分の律でどの方向に決めるかという現実思考である一方、自導は将来の目的から逆算して、自分をどこに導いていくかという未来志向のものになる。また、自律的であるためには冷静さが求められるのに対し、自導的であるには、抗し難く湧き起こってくる“内なる声”、“心の叫び”が必要であり、その意味では熱さを帯びるという性質のものである。
航海のアナロジーを用いるとすれば「3つの自」は次のように考えることができる。
・自立=「船」;知識・能力を存分につけて自分を性能のいい船にする
・自律=「コンパス」;どんな状況でも、自らの判断を下せる羅針盤を持つ
・自導=「目的地を描いた地図」;自分はどこに向かうかを腹決めする
◆企業が最終的に育むべきは「自律」を超えて「自導」の意識
昨今、企業が掲げる人材育成の方向性として、「自律的なキャリア形成意識を育む」「自律的に仕事をつくり出せる人材を育てる」といった流れが大きい。確かに、「自律性」を育むことはとても重要だし、それを遂行することもかなり難度が高い。しかし本当を言えば、「自律的」止まりでは不十分なのである。
近年、40代と50代向けの企業内研修の相談を受けるケースが増えてきた。テーマは「就労意識の再活性化」である。社員の年齢分布ピラミッドがいびつに頭でっかちになる中、40代以上の非管理職、一人(部下を持たない)管理職、エキスパート職の人数が増えている。その層に対するマインド面での刺激が必要というのだ。
こうしたいわば「ミドル・シニア非管理職」層と接してわかるのは、もはや「自立が大事だ。自律が大事だ」と言っても、なかなか耳と肚に入っていかないことである。各自それなりに、知識・技術は習得していると思っているし、自分で物事の評価・判断くらいはできると思っているからである。実際のところ、たしかに職人的に専門分野を深め、自立・自律を非常に強めている人もいるが、やはりそれは限定的で、ほどほどの自立・自律に留まっているのがおおかたである。その“ほどほどでいい”という意識は、やがて会社へのぶら下がり意識へと悪化し、生産性の低いかたまりが組織の中にどんと居座ってしまう。これは組織としても看過できない問題の種だ。
それなりに年次も経てプライドもあり、だが保守的な意識に傾いている人たちのマインドや意欲をどう再活性化できるのか───それはとても難しい取り組みだが、私は「自導」意識を喚起することがひとつのアプローチとしてありうると考えている。
自分という船をそれなりに造ってきた(=自立ができている)。 羅針盤もそれなりに持っている(=自律もできている)。 さて、自分という船をどこに導いていくか(=どう自導していくか)?
という問いを自らに発せさせるのだ。彼らは漠然とした不安にかられている。キャリアのファイナルステージに向かうにあたって、自分自身をどこへ導いていっていいか分からないという不安だ。もはやこの層に有効なのは、もっと仕事成果を上げようとか、生産効率を上げようといったことよりもむしろ、これからのキャリアで腹の底から出てくる叫びがあるのか、夢や志・ライフワークといったものを創出できるのか、ほんとうのやりがいをどこに発見できるのか、といった自問である。
40代以降、人を活性化させるために欠かせない意識は「自導」である。ひとたび、キャリア上の「大いなる目的」を持ち、そこに自分をたくましく導いていく状態ができれば、自分の内に湧いてくるエネルギーは健全に力強いもので、保身を排し、多少のストレスはものともしなくなる。また、その目的地に合わせて、船体はこれで大丈夫かとか、もっと精度のいいコンパスを持ったほうがいいぞとか、自立や自律を補強する意識も生まれてくる。
結局、自導的でない人は、真の活気が湧いてこない、働く発露がない、漂流感がいつまでもつきまとう。ただ、保身的に組織に居つく状態になってしまう。そうした保身意識の強くなってしまった人たちに対し、企業側はここ十年来、「エンプロイアビリティ(雇われうる能力)を高めてください」といって発破をかけてきた。が、そうした外的な圧迫では根本的な解決にはならない。また、企業は非管理職に向けたキャリアパスを何パターンか用意し、社員を誘導していった。こうした施策努力は必要なものではあるが、皮肉にも、キャリアパスを用意して居場所を確保してやることが逆に、「自導」の意識を脆弱化させることにもつながったきらいがある。
最後に、IBMの伝説的な経営者であるトーマス・ワトソン・Jr.の言葉を付記しておきたい。彼はIBMに必要な人財について、よく「野ガモ」の寓話を用いた。この寓話は、デンマークの哲学者キルケゴールが説く教訓である。
「ジーランドの海岸に、毎年秋、 南に渡る野ガモの巨大な群れを見るのが好きな男がいた。
その男は親切心から、近くの池で野ガモたちに餌をやるようになった。
しばらくすると、一部のカモは南へ渡るのが面倒になり、
男の与える餌を食べてデンマークで冬を越した。
やがて、残ったカモはますます飛ばなくなった。
野ガモの群れが戻ってきたときには、輪になって歓迎したが、 すぐに餌場の池に引き返した。
3、4年も経つと怠けて太ってしまい、 気づいたときにはまったく飛べなくなっていた。
キルケゴールの説く教訓は、 野ガモを飼いならすことはできるが、
飼いならされたカモを野生に戻すことは決してできないというものである。
飼いならされたカモはもうどこへも行くことはない、 という教訓を付け加えてもいいだろう。
私たちは、どんなビジネスにも野ガモが必要なことを確信している。
そのためにIBMでは、野ガモを飼いならさないようにしている」。
───『IBMを世界的企業にしたワトソンJr.の言葉』朝尾直太訳(英治出版)より
〈合わせて読みたいグループ記事〉
○2-1:「自立」と「自律」の違いについて考える
○2-2:3つの自~自立・自律・自導
○2-3:自律と他律そして「合律」の働き方
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