「自らの価値観が組織の価値観になじまなければならない。
同じである必要はない。
だが、共存できなければならない。
さもなければ心楽しまず、成果もあがらない」。
―――ピーター・ドラッカー『明日を支配するもの』
前回まで「目的」と「目標」について考えてきた。昨今の職場では「目標は溢れるが、目的がない」状況が少なからずあり、現場に「目標疲れ」が起こっていることを指摘した。個と組織が芯から強くなるためには、目的を考え、目的が語られることが欠かせない。
目的とは意味・価値次元のものである。その次元では、数値や論理、具体的方法が有効な言語としてはたらかない。ビジョンや直観、抽象的理念といったものが交換され、共感が起こる場になる。サイエンスとアートで言えば、目的を語ることはアートの世界に属する。アートの世界は扱いづらいが、このアートをうまく司らなければ、事業や働くことの本当の深みには入っていけない。
◆2つの円 ~会社の目的と個人の目的
会社には会社の事業目的がある。そして個人には個人の働く目的がある。これらを2つの円で描くと、図のような3つの関係性が生まれる。
①【組織と個の共有関係】
会社と個人の間には、何かしらの共有できる目的(目的観)があり、両者は共鳴しながらその成就に向かい、関係性を維持・発展させていくことができる。こうした関係の下では、「人を活かし・人は活かされ」といった空気ができあがる。会社は働き手を「人財」として扱い、働き手は会社を「働く舞台」としてみる。ここに、強い理念を掲げた魅力ある経営者が求心力となれば、その組織はとても強いものになる。
②【組織と個の従属関係】
会社の目的に個人が飲み込まれ(この場合、たいてい個人はみずからの目的を明確に持っていない)、個人が会社に従属し、いいように使われてしまう関係である。このときさらに、個人が他に雇われる力のない弱者である場合、雇うことを半ば権力として会社は暴君として振る舞うことが起こる。
③【組織と個の分離関係】
会社と個人はまったく別々の目的を持っていて、両者の重なる部分がない。会社はとりあえず労働力確保のために雇い、個人はとりあえず給料を稼ぐためにそこで働くといった冷めた関係となる。
組織と個が健全に関係性を持続できるのは、言わずもがな、1番めの2つの円が重なり合う状態である。確かにこの関係性は理想ではあるが、それをあえて望まない組織や個人がいることも事実である。「組織も個人も、ともかく金を得ること、自己存続させることに専念すればよい。事業や働くことに、意味や価値の共有といった曖昧で面倒なことを下手に持ち込めば、足手まといになるだけだ」───そんな功利至上の考え方で、2番目の関係のように働き手を隷属させる経営者や、3番目の関係のようにただ淡々と働いて給料をもらえればよいと割り切る(あきらめる)個人もいる。私は研修の中でさまざまに管理職や一般社員をみてきているが、「理念のもとに部下を働かせる」管理職、「理念的に働きたい」社員がそれほど多いとは感じていない。むしろ、管理職、一般社員ともに「功利的割り切り」意識が少なからずいる。
とはいえ、だれしも意味や価値を充足させながら働くことが理想であるとは思っている。そして実際、それを実現している組織と個は、強く豊かな事業や仕事を行う。組織と個の間で意味的な共有がなされ、魅力的な経営者が求心力を創造している組織の典型を、本田宗一郎の次の言葉の中に見出すことができる。
「“惚れて通えば千里も一里”という諺がある。
それくらい時間を超越し、自分の好きなものに打ち込めるようになったら、
こんな楽しい人生はないんじゃないかな。
そうなるには、一人ひとりが、自分の得手不得手を包み隠さず、ハッキリ表明する。
石は石でいいんですよ。ダイヤはダイヤでいいんです。
そして監督者は部下の得意なものを早くつかんで、伸ばしてやる、
適材適所へ配置してやる。
そうなりゃ、石もダイヤもみんなほんとうの宝になるよ。
企業という船にさ 宝である人間を乗せてさ
舵を取るもの 櫓を漕ぐもの 順風満帆 大海原を 和気あいあいと
一つ目的に向かう こんな愉快な航海はないと思うよ」。
―――『本田宗一郎・私の履歴書~夢を力に』“得手に帆を上げ”より
◆目的を言語化する
目的とは意味(~のために)を含んだものであった。したがって、事業の目的、働く目的を考えることは、「何のための事業か?」「何のために働くのか?」の自問になる。だが、この質問は漠然として、考える取っ掛かりがない。そのため、私は次のような演習を用意している。
【演習1】 私の提供価値宣言
次の空欄に言葉を入れよ
「私は〈○○○○〉を売っています」
あるいは、
「私は〈○○○○〉を届けるプロフェッショナルでありたい」
さて、あなたはこの空欄に何という言葉を入れるだろう。
自分は自動車メーカーに勤めているから、「私は〈クルマ〉を売っています」
自分は介護事業会社に勤めているから「私は〈介護サービス〉を売っています」
というような答えを求めているわけではない。この空欄には、自分が仕事を通じて提供したい「価値」を考えて、書いてほしいのだ。この「提供価値」を考えることが、職業人としてのアイデンティティを確認し、それを基軸価値にしてキャリアをひらいていくという原点になる。これは全人的な自己を意識した「宣言」なのである。
この宣言は、自分の言葉で噛み砕いた主観的な意志の造語をしなければならない。例えば、私は研修事業を行っているが、自分自身の提供価値を次のように考えている。
〇私は仕事を通し〈向上意欲を刺激する学びの場〉を売っています。
〇私は仕事を通し〈働くとは何か?に対し目の前がパッと明るくなる理解〉を売っています。
〇私はお客様に〈働くことに対する光と力〉を届けるプロフェッショナルでありたい。
この問いを通して考えさせたいことは、私たち一人一人の働き手は、目に見えるものとして具体的な商品やサービスを売っているが、もっと根本を考えると、その商品やサービスの核にある「価値」を売っているということだ。
例えば、保険商品を売っているというのは、根本的には、「経済的リスクを回避する安心」を売っているとも言える。また、新薬の基礎研究であれば、その仕事を通して、「発見」を売っている、あるいは、「その病気のない社会」「健康」を売っているととらえることができる。財務担当者は、取締役に対し、「正確さ・緻密さ・迅速さによる経営の判断材料」を売っているのかもしれない。スポーツ選手であれば、彼らは「筋書きのないドラマと感動」を売る人たちだろう。コンサルタントは「課題解決のための情報と知恵」を売っている。料理人なら、「舌鼓を打つ幸福の時間」だし、コメ作りの農家の人なら「生命の素」だ。
いずれにせよ、ここには主観的で意志的な言葉が入る。この言葉づくりによって、一人一人の働き手たちは、自分の奥底に持っている意味や価値をあぶり出すことができる。そしてそれを成就するために、具体的にどう動けばよいか、どうキャリアをひらいていくかという思考順序になる。次に演習をもう1つ。
【演習2】 我が社の提供価値宣言
「我が社は〈○○○○〉を売っています」
あるいは、
「我が社は〈○○○○〉を届けるプロフェッショナル集団でありたい」
この空欄に書き込むのもまた提供価値である。製品や販売サービスを直接的に書き込むのではない。提供する価値を言葉に変換し、それによって自分の会社が世の中で何者であるのかを定義するのである。
これを考える際にヒントとなるキーワードをいくつか紹介しよう。図に表記したのは、企業が社名とともに発表しているコーポレートスローガンである。これらもある意味、企業が事業を通じて届けたい価値を言い表している。たとえば、大成建設は「地図に残る仕事」を売りたいと思っている。BMW社が製品を通して顧客に届けたいのは「駆けぬける歓び」である。またミツカンが売ろうとしているのは「やがて、いのちに変わるもの。」だ。これらは企業の大本営発表のフレーズであるが、一人ひとりの社員が現場目線で考えるとまた違った表現が生まれてくるだろう。
私は中間管理職向けの研修で、必ずこの演習をやっている。受講者である部長・課長に、「わが部・わが課は何の価値を届けている集団なのか」を考えてもらう。研修中、同じ部長同士、課長同士でいろいろな表現が出るのでそれがよい啓発機会にもなるのだが、さらに重要なことは、おのおのがそれら提供価値を現場に持ち帰り、部下とともに発想を出し合って最終的に部や課のフレーズとして共有してもらうことだ。
会社組織における部や課、そして個人が、もし、全社の事業計画の数値を分割して引き受けるだけなら、それは単なる利益製造マシンのユニットと部品でしかない。しかし、会社全体も意志として提供価値を考え、部や課も提供価値を考え、個人も提供価値を考え、それらが方向性や質の面で互いに共鳴するならば、その組織は生き生きとした有機体システムとなる。全体は個を内包し、個は全体を内包する。そこを貫くものが、「やらねばならない数値」ではなく、「届けたい価値」になったとき、その組織ではそこかしこから自律的な創発が起こり躍動を始める。そしてその価値を基軸に組織文化が醸成される。
◆客観を超えたところの主観を打ち出す
目的の基となる意味や価値を考えることは、どうしても抽象的、主観的になる。具体的な方法論や客観的な論理力が過剰に重要視される中、こうした演習の効果性に首をかしげる人事担当者がいるかもしれない。それはおそらく、効果測定が定量化できないことからきているのだろう。しかし何事も定量化して判断しなければという呪縛は、それこそ意味や価値を考え、押し出す力の脆弱化の裏返しでもある。
ほんとうに強く豊かな組織・個をつくろうと思えば、いやがうえにも意味や価値の次元に入っていかざるをえない。冒頭触れたように、サイエンスだけの世界では限界がある。アートの世界で人を育み、人を動かすことが鍵になってきている状況なのだ。その先導役を果たすのが、人事・人材育成担当者の仕事ではないか。
共著『知識創造企業』の中で「SECIモデル」を提唱した野中郁次郎一橋大学名誉教授は、いま、「MBB」(Management By Belief:「思い」のマネジメント)を提唱する。論理的・合理的に算出した数値目標を効率的に達成させようと管理する「MBO」(Management By Objectives)のみでは、組織も個人も疲弊して行き詰まってしまう。そこに「思い」という主観的な要素がどうしても必要になってくるという主張だ。
「これまで主観は、論理的分析優先の世の中で、経営の中でまともに扱われず背後に追いやられていた。しかし、WHATの位置づけを高め、考える現場を取り戻すためには、この主観をきちんと経営の中に位置づけることが必要だ。このような主観と客観、右脳と左脳、アートとサイエンス、WHATとHOW、思いと数値目標、このバランスを回復しなくてはならない」。 ───『MBB:「思い」のマネジメント』東洋経済新報社より
客観的な目標を立て、そこに向かって全員で突っ走る/走らせる。
主観的な目的を創出し、組織と個で共有しながら舞っていく。
前者でいくのか、後者でいくのか、それを決めるのは経営者と人事部門である。
〈合わせて読みたいグループ記事〉
○1-1:「目標」と「目的」の違い
○1-2:「目的」のもとに「目標」がある
○1-3:「組織の事業目的」と「個人の働く目的」
* * * * *
シリーズ『人事担当者のための「働くこと」基礎概念講座』は、
働くこと、仕事、キャリアにかかわる基礎的な概念を
わかりやすくとらえなおすウェブ講義です。
順次、記事を掲載してまいりますのでどうぞお楽しみに!